「なにもできない」というニーズ

わたしの商売はBtoCが90%な製造業という事になる。
お客さんがいっぱいいる。そしてインターネットで比較的コミュニケーションが取りやすいSNSを使っているので、今回のような災害があるとなかなか不思議な動きがとれる。

とりあえず、今回の地震については直接の被害を受けない場所で、仕事もあまり影響はなさそうだ。

さて、じゃあ仕事をしましょうか。
わたしの仕事というのは、今回の場合はお客さんたちの精神的な安定を提供するパフォーマンスをしたり、それらのための情報を出すという事だ。

避難所の情報なんか出してもしょうがない。「もっと情報をシェアして!拡散して下さい!誰かがみてくれるはずだから!」となっている人たちは、自分がパニックになってるとも知らず、被災もしていないのに勝手にPTSDになったりするという、まあー迷惑な事をね、している訳です。
彼らは正義感恐怖心がごちゃ混ぜになってパニックになっているという、一番手が付けられない状態だからね……。

こういう状況の時、共感というのは非常に厄介な感情になる。
共感してはいけないのだ。
現地の悲惨な状況を想像して共感するなんて、もってのほかである。何の役にも立たん!映画でも見て泣いてる方がよっぽどいいわ。

だけど、共感をしたがるのが人間なので、禁止はできない。

そこで、「共感しても大丈夫な情報」を出したり、「これをしたらいい」という害のない情報を出す必要がある。映画ではないけど。
でもこれもやりすぎるとプロパガンダですからね。難しいです。

彼らの一番のニーズって、「何かしたい」
もっというなら「何もできないってことを忘れたい」という事です。
怖いから。

人間とはおかしなものです。何かをしていないといられない。どうなるかわからない状況だと、ものすごい恐怖心を感じるんです。特にこういう不安な情報が山ほど届くような時は特に。
なにがいけないのか、どうしたらいいのかわかると恐怖心が消えるしくみなので、何かしたいという欲求に突き動かされてしまいますが、情報を見る限り自分ができる事はないとわかります。
そうなると、何もできないというつらさ、ストレスが巻き上がります。
でもここは、普通は個人個人が何とかしなきゃいけない部分です。

こんな時、私は商売をしていてよかったなあと思うのです。
わたしにはお客さんに提供してあげられることがたくさんある。

モノを売る、つまり買ってもらうというのは「何かしたい」をしっかり満たすだけの行為なのです。

しかし、ここでいうのは「このひどい状況に対して何らかの行動をしたい」というのがニーズです(その裏には恐怖心がありますが、今は差し迫った危険はないので恐怖する対象はありません)。
ということで単純にうちではチャリティー商品を販売しました。

でもこれもまあ、一歩間違うとね、普通にわたしのお財布に入っても誰もわからないわけです。詐欺をするのってすごく簡単なのです。
そのつもりはなくても、今まで売上が止まっていたのがぶわーーっと売れていくと、なんかイライラした気分も生まれてきて「なんだ結局欲しかったんじゃん。自分が損をしないとか大義名分があれば買うんじゃん。ひどいよね」という気持ちもあります!人間だもの!

まあそこをグッとかみしめて、振り込みますよ。さっさと振り込まないとガメたくなるので大急ぎで送り付けたる!

金は金じゃ。どう集めようと、金は金なのじゃよ!使ってやって!

結局、チャリティー商品を作ったことで、普通の売上も戻って、新しいお客さんも少しはゲットできて、広告費と思えば誰が買ってくれるかわからない広告に10万円出すより、商品も売れて被災地に義援金を送る10万円のほうがいいのです。どう考えても。

チャリティーだと、そこには共感が必要になって、やっとここでアンタッチャブルな感覚共感の出番です。
もう好きなだけ共感していいからね。ここは共感していい。
という安全圏を提供できるのです。
共感したいお客さんは好意的にシェア(共感しましょうアピール)までしてくれる=まさに広告となっていく訳です。

なにかしたい=欲しい商品を買う
苦しいねつらいねって共感したい=チャリティーなので共感OK!
これでかなり精神的な安定を埋めるための条件を満たすことができます。まあ一瞬ですけどね。でも物事はなんだって一瞬しか価値はないし、一瞬でも価値があればそれは十分なのです。

多くの方は、いろいろ勘違いをされている。
商売が提供するのは、商品や金銭のやり取りじゃないんですよ。それらはむしろ付随するものなのです。そしてそれはいくらでも変わっていくのです。価値観は変わるものなのです。

いま、わたしのお店のお客さんたちは、「なにかしたいけど何をしたらいいかわからない」「何もできない事がはがゆい」というストレスを抱えているので、「これを買えば、あなたは欲しいけど迷っていた商品をゲットできるし、被災地にそのお金を回せるし、とてもいいことができるんだよ!」という普通の行為に意味を提供することができる。

ニーズがなければ意味は提供できない。
ニーズを見極める事。そして、お互い傷のない範囲でやることだ。

この傷のない範囲でっていうのもまた難しい加減で、うまくいったとしてもわたしが「チャリティー商品がこんなに売れるなんて、なんで今まで普通に買ってくれなかったの、許せない!」と思ったりするとかなり精神的苦痛という負荷になるのであまりやらない方が良いものなんだと思う。
あるいはそう感じない程度に金額を設定するとか、とにかく負担のない状態でいる事が何より大切になる。事業主の器で内容が変わるわけです、ええお恥ずかしい話ですが。

そもそもビジネスというのは、そういうものだ。
お互いの余剰と不足を秤にかけて、釣り合うところをさがすのだ。
それが物質的な商品であるときもあるし、精神的なサービスであるときもある。

たとえば、こんな災害が起きた時に、わたしは商売をやっていてよかったなとつくづく思う。
モノやサービスだけじゃない、単なる普通の売買でも、価値を提供できる。
不安に思っている人の気を紛らわし、冷静さを取り戻すための一瞬の切り口を作ることができる。商品が届けばまたその人の生活のなにかが少しだけ変わるだろう。

避難情報の拡散や直接的な援助ボランティアなどではなく、今いるお客さんの精神的な安定や不安の解消さえ、今までの商品の販売ですることができる。
ちっぽけなお店ですけどね。
わたしのお客さんはつまり誰なのか、忘れちゃいけないんですよ。常にお客さんのために何かを提供していくのだから。

できないこと=できる事のあぶり出しツールです。なにもできないというニーズをちゃんと商売に反映させて、自分の商売を動かしつつ利益を確保しつつお客さんの気持ちをしっかり支えるパフォーマンスを提供して、わずかですが被災地支援の募金ができる道筋を作る。
まあそんなことも、できるっちゃできます。商売をやっていればこそ。

ほんとうに商売をやっててよかったなって思います。

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つよく生きていきたい。