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結果を出させない、出した結果を押しつぶすのをやめろって言ってるんだ

男女格差の話の際に「女性だって結果を出せばだれも文句を言わないんだから結果を出せ」ということを書いている人がいて(もちろん男性で)、「そこ!そういう背景や状況を全く理解していない『平等意識』が構造の中でより格差を助長してるんだよ!!!」と叫んでしまった。

ややこしいんだけど、女性は結果を出せないような社会になっている。
賃金も低い。それに女というだけで軽くバカにしている人たちが山ほどいる。山ほどいるから、そのバカにされている価値観の中での最も高い評価を狙うことになってしまう。
「クラスで一番かわいい子」であることが、女として目指すべきポジション。もちろん学校一、県下一、日本一とかやってもいいけど、クラスで一番ポジションのほうが単価で行くと価値が高い。

ここで厄介なのは個別には「やってはいけない」とは言わないところだ。
むしろ応援したりする。
が、その範囲が広がるにつれ、小さな女性差別が積みあがっていく。
女は目立ってはいけない。
女はきれいにしていないと。
女は賃金が低くいのが常識。
女がやっているビジネスはちょっと不安がある。
女の考えている計画は絶対にどこか甘い。
どうせ結婚してすぐやめる。
子供ができたらすぐに産休でいなくなる。
給湯室のカップ麺用のポットはお昼までに女が水を入れて沸かしておくべき。
ゴミ捨ては女の仕事。

女に融資はしない。
女は医学部に成績がよくても入れない。

女がリーダーポジションにつく時は「しなやかに」すべての厄介事を自分で処理しなくてはいけない。(俺らは変わる気がないから)

そういうのを乗り越えて、結果を出したとしても「所詮女子供の遊び」という感じで低く見積もる。
ものすごい結果で打ちのめすところまで持っていかないと、なかなかその存在を認めてもらえない。

というか、男たちはそれを認めない目を持っている。
男たちのそういう目の世界の中で生きていると、それを持っていない人も(男女、年齢問わず)、いつの間にかそういう価値観が一番スムーズで混乱がないという事もあって、そっちに寄っていく。

それが「構造」ということです。

自分がどういう構造の中にいるか、人はあんまり理解していない。
自分が誰に何の金を払っているのか、わからない人のほうが多い。
誰がどういう意味でその金を払っているのか、誰が誰のために働いているのか、わからないのだ。
ただ目の前に来たものをきれいにしてベルトコンベヤーにのせればいい、という作業を、みんながやっている。それぞれに違うベルトコンベヤーの前で。

だからベルトコンベヤーが止まったり、流れてくるものが違ってくるだけで、パニックを起こす人だって結構いる。
そのベルトコンベヤーの流れでひどい目に合っている人たちが「この流れを変えたい」「こっちの方が少しは楽だ」と言っているだけで、大多数の「そうかな?別に元のままでよくない?」というやつに押しつぶされていく。

誰もをなぎ倒すような結果を出す前に死んでいった、それだって才能豊かな人たちがたくさんいる。
諦めて自分の才能を活かすのをやめて、ベルトコンベヤーの前につき、その範囲でうまい事いいことをやっていく方に舵を切る。小さくまとまって、ただの消費者になっていく。バズったプチプラコスメだけを買い、骨格診断大優勝と誰かの言った安っぽい服を着る。


そういう「安定」が、結局誰かから与えられてきたものだというのが、その安定を揺るがされてわかり始めている。
特に7/8の銃殺事件以降、「日本の常識」の欺瞞が表面に出てきてしまって、世の中をちゃんとやってきたと思っていた人たちがアイデンティティクライシスを迎えている。

権力者の男性のあっけない銃殺によって。
彼のような立場の人たちがずっと抑圧してきた地獄の蓋が開いてしまった。

彼らのアイデンティティによって社会の構造が作られてきたので、そこがくじけると巻き込まれるように多くの人たちがアイデンティティクライシスを受ける。ビジネスにもそれぞれアイデンティティがあるので、そこも危機的状況になる。

と同時に、道徳心が著しく低い人たちがいきいきするという状況にもなる。
「悪いことをしていても、結果を出して僕らに利益を与えてくれたのだから」という理由で悪いことをチャラにしたり、いい人だとすり替えたりする。
自分が悪事に加担しているという自覚がない。
まあ、自覚してやってる人もいるけど、むしろその方が道徳心や倫理観がしっかりしている。

そういう意味でも「結果を出せ」は、すごく怖いところがある。

その人がどういう人か、どれだけ悪意に満ちているか、反社会的勢力や信者を食い尽くす宗教団体がバックにあるチートなやつでも、結果が出てそれが利益になればオッケーということになるからだ。

結果を出していい人は最初から決まっていて、利益をくれる人はどれほど悪いことをしていても優遇される。

こうやって作った社会の安定は、実はとても脆いんじゃないかと思う。

実際に、不満が出てきて、それが建設的な方向に使われていない。
不満が建設的な方に使われず、社会を壊す方に使われるというのは、構造の失敗だ。


じゃあ構造をどう変えるのかというと、ここがとても歯がゆいところだと思う。
権力者ではないからだし、権力は最近のニュースではっきり言われちゃっているように(主に宗教的な背景をもった)組織票を持ってないといけないのだから。楽天やTSUTAYAはバリバリに宗教的なバックボーンある。企業もなんらかのそういう立ち位置にいる事が多い。
実際自分が組織票のひとつだと自覚している人たちもいっぱいいるだろう。
それがよい事とは思ってない人も、それがよい事と思っている人も、それぞれにいるだろう。

それで?

それで、どうするの?

それにすぐにこたえられる人は少ない。特にアイデンティティクライシスの時はそれどころではなく、八つ当たりが返ってくるのが関の山だ。
(ちなみに私はおじさんがアイデンティティクライシスして自滅していくのを見るのがとっても好き♡)

地獄の釜の蓋が開く、というのは本来は「閻魔様も有給中、地獄もお休みだから現世も休めや」みたいな意味らしいけど、字面を見ると絶対出てきちゃいけないおどろおどろしいものがこの世に溢れてくるようなイメージだ。

個人的には電車で暴れるよりも超重要人物を一撃必殺で銃撃しちゃう方が戦い方のスタンスとしては納得できるというか、むしろ賞賛してしまう気持ちだ。
その方法のほうが正確だ、と思うからだ。次にコマを進めるためには、手近なところで暴れるより暗殺が一番だ。そういう意味でもこの事件は入念に練り上げられた執念の冷静でなげやりな着地として大成功したのだろう。

私も私なりの暗殺計画を進めなくてはいけない。
それはあからさまに誰かを殺す事ではないと思うけれど、「結果を出せよ、評価してやるからよ」というやつらに一泡吹かせる方法を、どうやら変えていかなくてはいけないなと思い始めている。

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つよく生きていきたい。