「まるでアートのような」問題

アートって言っておけば濁せるお茶の多いこと。
それだけアートという語感が濁ってるともいえる。
クリアではないし、濁っているところに意味があるみたいなところもあるんだけど、その筋の人たちはみんな基準があると口をそろえて言うので、余計怖い。

アートと、アンティークもまた意味が違うんだけど似たような感じもある。
古い時代のアートはアンティークと言えばアンティークだし。

アートのような、という言葉が曖昧過ぎて、その言葉の意味するものも曖昧過ぎるんだけど、「理路整然と説明できないがきれいな雰囲気がある」という意味でアートって言っていることも多い気がする。

なんていうか、わかんない方が楽しめる側面。
分かっちゃうと、ひとやま越えるまでキツイみたいな。
わからない方が楽しめる事ってたくさんある。

個人的に、アートはエスタブリッシュメント文脈と、古典の答え合わせ文脈(見たことある有名絵画)、単純に自分の感性でかわいかったりきれいだと思うもの(たまに怖いがガツンとくるものなども含まれる)、みたいに分野分けされている気がしている。これは私の中の分類。
エスタブリッシュメント文脈は、私たちは特別な感性でこの特別な作品を評価しますという、とにかく上から目線でできている。これもまた楽しい。上から目線の楽しさは非常に強い快楽がある。
答え合わせ文脈は、知ってる知識を試すみたいなやつで、これもこれで面白い。小さい印刷や、画面の中でしか見たことがないものの本物に出会うと、芸能人に会ったような興奮がある。

でも、アートのような問題は、どっちかというと本当のアートには使われないので、アートガチ勢の話を持ってきてはいけない。

美しい観葉植物は、アートのようと言ってもいいのか。

多分ダメ。
ちゃんとその言いたいことが表現できてないので、ダメ。

アートという言葉で、本来表現すべき事象を表現せずに逃げた(濁した)ということが、ダメ。
もっと適切な比喩表現があったはずな所に、大体「アートのような」が入っている。表現しきれない事を、他者が表現で勝負している分野を引合いに出して丸め込んでいる。

そして表現は「わからせ」なので、わからせないとダメ。
アートのようなと表現した時は「わからなかった」のと「わからせられてない」のダブルコンボでダメ。

という気がしますが、いかがか。

つよく生きていきたい。