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ばらまきが嫌いな子供だった

ZOZOの社長の現金ばらまき事件、すごいよかったです。
いいものをみせて頂きました。

あんなの、ほんと大したことないと思うんですよ。銀座とかでは普通に100万円とか飛んでいくそうですし、背広の左右の内ポケットに100万円ずつ200万円入れてないと落ち着かないみたいな人もよく聞く話だったそうです。

そういうのが、ずいぶんきかなくなったし、見る事もなくなった。
それが、今回のお年玉事件でけっこうたくさんの人に認識されたのは、非常にいい事だと思います。

それに群がる人々の様子が見れたのも非常に良かった。
しれっとRTしている人の一連のツイート群を見てみると、どうということのないツイートばっかりで、あ、でも100万円は欲しいんだねーって。

はじまってからのアンチというかヘイターの活動っぷりもなかなか面白かった。あーだこーだいいながら100万円はほしいみたいなのも、人の器の小ささが全開で面白かった。面白がってる私は意地が悪いなとも思った。

一気になりすましや詐欺関係がぶわーっと沸いたのも非常に良かった。
これで詐欺がどのように行われるのか、リアルに見る事ができた人はずいぶん学びになったと思う。
実際になりすましアカウントをRTしている人も結構いた。フォロワーさんあなたもなのね、とか結構あった。

実際に当選者が出てからも、金持ちが再分配というのはしょせん個人の考えのもと選別されるのだから、福祉や行政がいかに重要な仕組みを持っているかを再確認するという解説も重みがあった。
それを知るのに、非常に意味深いばらまきであった。
私は福祉の専門的な勉強をしていた時期があったので、すごく重く感じた。

当選者が世のため人の為に使うといいながら、「やっぱり自分の為に使ってから…」と一気に及び腰になるところが見れたのも、非常に良かった。
生々しい上っ面がべろりとはがれる瞬間を多くの人と共有できた。

こんなふうに散々楽しんでおきながら、私は、実はこういうばらまきが大の苦手なのだ。
それも子供の時から。

棟上げ式や、餅まき、節分の豆まきのような、大衆に向かって何かをまく行為は、一部は神事として定着している。だから結構たくさんの人が経験していると思う。
私の育った地域はあまりそういう事はしないのだけど、たまーに、似たようなイベントがあった。
空から、何かをまくというので、兄弟も従姉妹も、近所の人たちが大人も子供も集まって、空から落とされる何かに群がって拾うというイベントを見た時、私は正直ドン引きした。
気持ち悪くなって、布団にもぐりこむくらい嫌な気持ちになったのだ。
子供はそういうものを喜ぶと思っている大人もバカみたいだと思ったし、落ちてきて踏まれて砂だらけになったものに人が群がるものぞっとした。
そんな汚くなったものを奪い合って手に入れて満足そうにしている人の様子に衝撃を受けた。きれいなものを大事に渡されるなら嬉しいのは分かる、でもそれは踏まれたり相手からむしり取ったりしたものなのに、どうしてそんな満足した顔をしているのか。

今まで散々言われた、平等とかみんなで仲良くという教育はどこにいったのだ。
大人たちまで一緒になって群がって、いつもお前たちが私に強いていたことは、そんなゴミだらけのよくわからないもを奪い合うことの前には無力だというのか。

私は何のために、みんなで仲良く平等で独り占めにしないで、好きな事ばかりをしないように、周りを優先して、人が持っている物を勝手にとったりしないで我慢しろと言われていたのか。
いってることとやってることが完全に違うじゃないか。

子供の私が、ばらまき系のイベント感じたのはそういう事だった。

一度ばらまき系イベントがあって以降、二度と行かなくなった。
行ったとしても妹弟の管理という役目の為にその場にいるだけだ。

まあでも、まく方なら楽しいだろうなって、思っていた。
まいたものに群がるのは絶対に嫌だったが、まくのは楽しいだろうと思う。
にこにこしてまくことが想像できる。

となりにいる人を踏み倒してでも誰かがまいた汚れたお金を奪い合ってゲットする競技を楽しいと思うのか。
はたまた、そうやって群がる人たちにモノやお金や、キラキラしたものを高いところから放り投げて与えるのが楽しいのか。

私は絶対に後者だ。
ものだけじゃない、アイドルとかも高いところから群がる人々に何かキラキラしたものを投げるという仕事だ。
「与える」立場というのは、まあまあ選ばれた人がいくのではないかと、今回の事で思った。群がって奪い合う人の方が圧倒的に多かった。
その後、お年玉企画を真似してたくさん配る事をし始めた人もいたけれど、単純に詐欺を除き、ZOZOの社長へのライバル心や当てつけという、彼がやったことに対してのアクションだったのが個人的にはなんかグッと来た。
個人の「与える」ことではなくて、ただあの男に張り合いたいというだけの、マウンティングの取り合いという感じが見れたのが、すごいなあと。

でもそうじゃなくて、本当に神事のように、なにかをキラキラとまき散らし、人に恵みを与えるというスタイルは、なんと意義の深いものなのだろうと、再認識した。

私はその恵みに群がる事がどうにも苦手だけれども、ばらまきが悪いとは思っていない。

もしできるなら、バラまく側で関わりたい。


そして、今回のお年玉事件は、いいものを見させていただきました。

私は100万円は全然食指が動かない金額です。3000万とかならちょっと欲しいなって思うんだけど、そうなるとリーガル的なあれこれとかありそうで面倒じゃん。相手もそれ相応の要求をしてきそうだし、そういう精神的負担を背負って3000万かーって思うと、いらないなって気持ちに傾いちゃう。
という現時点での自分の金銭感覚を感じ取れたのも、大変よいことだったです。

ありがとうございました。

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