現代アートにデリヘル嬢を呼ぶ話

えーと、まあ一方的な書かれ方をされているブログだけれどね、これらの「作品群」はちょっとね。

もう一段完成度を上げることはできなかったのかなって思うよね、この作品とやらは。作品がそもそもクソだとボコボコにされるのはアーティストの正しい姿かもね。

どんな道でも結局、完成度を高めて作品にして他者を納得させるしかないのだと思う。そこに他者を被害者として巻き込むのは、とにかく下手としか言いようがないや。

混乱や犯罪や偶然や悲しい事故でしか人の注目を集められないと思っているという作者の考えが透けて見える作品群かもしれないけど。
それは、一般人の技術のない者の考え方だからね。
つまり、つまらないって事。

詳しくはこちらのブログなどなど
http://kyoumoe.hatenablog.com/entry/20160131/1454226318

例えばアウトサイダーアーティストは、好き好んでそうなったわけじゃないと思う。
既成概念に反旗をひるがえすといって、異端に憧れて異端を目指すのは、凡庸である証明そのものだ。既成概念の犬にしかそれはできない。精一杯で、飼い主に噛み付くくらいの話。

そして「なぜデリヘル嬢を呼ぶくせに、ヤクザは呼ばないのか」という問いがほとんどの部分を浮き上がらせてくれる。

タブーに挑戦する時は、確実に自分が傷つかない相手を選ぶ事からすでに「ありがち」。

本当に自分が被害者になる「作品」は、作らない。
自分より弱そうな相手をいたぶる事は思いついても。

その「弱そうな相手をいたぶる心の暗さ」を他者を被害者として登場させずに表現して、昇華してよ。

犯罪なら誰でもできる。
特別でありたい芸術家が、犯罪しか表現の手段を持たないなんてガッカリする。

せめて、エレガントで知的で大胆不敵なルパン三世くらいの犯罪者を目指して欲しい。芸術家を名乗るなら。

つよく生きていきたい。