難しいです、はNOかYESか
大体のジャパニーズ会社員がいうところの「考えます」「むずかしいです」はNOである。
これを言っておけば、議論もなくフェードアウトというサインになる。
が、「海外で考えますとかむずかしいですは、YESだからな!!!」「ちょっとでも可能性があったらすべてYESと取られるから!!!」「ということで、お前これはできないならできない、できるけどやりたくないならそういえ!!!」と激詰めしている現場などにもまあまあ遭遇する。
ジャパンは最初にすべてにNOといってから、「この場合はできます」「ここは可能です」と条件付きでYESを出していくのがスタイルだという。
できないと一度は言うのが美徳。
世界的に見るとこれはとても少ないコミュニケーションスタイルらしい。
「あいつらはまずなんでもできるって言ってから、できないことがバレていく」とお怒りが発動する。でも、大事なのは結果なので、結果にたどり着く過程でのコミュニケーションにおけるストレスって、そこまで問題ではなかったりする。
そこにチマチマ気をもんでいるのは、結果(成果物や売上)は自分に関係がなくて、目先のやり取りがその人の仕事のすべてであるという認識になると、まあそうなるよねって思う。
社長は売上があれば満足だけど、社員はお金は変わらないなら目先の仕事の質にこだわる。
ゴールが違えば、こだわることもストレッサーも変わってくる。
逆に言えば、ゴールの設定がどうなっているかは、ストレッサーで計ることもできるのだろう。
多くの人はゴールを無意識にぼんやりと設定している。
ゴールなんか決めてないです、という人でも、なんとなくのゴールはもう想定されているものだ。
職場で無理なく働きたい、とか。
無理ってどういう状態を指しているのかも、無自覚。でも無理っていう感覚はある。
だいたいみんなもうわかっている。ただ自覚はできない。
逆に、自分とはかなり異質の、例えば習慣も言葉も全部違う外国に行くと、その違いにより自分の存在を強く感じることはあるので、外部との摩擦は自分を知るためにとても重要なんだと思う。
受容と共感では、人は自立できない。
つよく生きていきたい。