250円

ドトールのカフェラテSサイズは250円だ。
このおかげで、私のビジネスは動き出した。

一介の派遣社員、仕事は受付嬢というわたしがビジネスを立ち上げられたのは、この250円のおかげだったと思う。

創業期の話を、といっても、正直いまだに創業期なんだけど、とにかく本当の一番最初のところを思い出すと、ただひたすらお金がなくてお金を作らなくちゃいけなくて、お金を作るには仕事を作らなくちゃいけなくて、仕事を作るには何かを売ったり、買ってくれる人がいないとダメだという事で、何が作れて何が売れるのかを必死で考えている時だった。

250円のカフェラテ(コーヒーのカフェインがどうも苦手で今でも小さいサイズにする)。これが精一杯だった。

そしてひたすらノートや、コピー用紙に計画を練り上げた。

その集中力たるや。
凄かったと思う。
なにせ借金を返さなくてはいけない、最低猶予は長く見積もって3年。
借金そのものを返せなくても、実家の生活を立て直す程度の、低く見積もって毎月5万円~10万円程度の収入がコンスタントに、10年続くだけでいい。
マキシマムとミニマムをざっとたたき出して、未知のビジネス創造に突っ込んでいった。

お手本もない、先生もいない、仲間もない、身内には後ろから刺される。
それでもやらなくては、自殺かホームレスか、めちゃくちゃしょぼい人生になるとはっきりわかっていた。認めたくなかったけど。

その結果、3年以内に年商1000万円は超えるビジネスをスッと作った。
年商なので1000万円なんて小さい話でとても恐縮なのだけど、その時の私と実家にとっては奇跡だった。

なにせ明日までに50万払わないと家を差し押さえるとか言われているような状態から這い上がったのだから。

お金がギリギリだったから、250円で場所を確保して作戦を練るというのは全力でやらないと回収できなかった。だから必死だった。全力で考えた。

その時と今では、確かにお金の量が変わって、今は250円はそこまで大きなお金ではない。

でも、あの時の250円はものすごく大きなお金だった。
今と数字の量は変わらないのに。

あの時の価値を持った250円が、ちゃんと今も動き続けているだろうか。
私にとってあの250円と同じ力で動く50万円があったら、奇跡的な展開なんか1000個くらい起きてしまう。
それが1000万円あったら、海も割れよう。

今は、5000円にその250円のようなエネルギーをちゃんとのせられるだろうか。
あの時の強烈な、人も自分も殺すような集中力は、発揮できるだろうか。
そう考えると、ずいぶんお金を無駄に使ってしまったような気がする。

お金がすべてではない、と言っていいのは、お金に不自由しないだけ裕福な人だけだ。
お金を大切にうまく使いこなす力がなくてはいけない貧乏人クラスに生まれ育ったくせに、使いこなす力がなかった私は、途中でビジネスを立ち上げざるを得ないという流れの中でその重要性を身をもって知った。
身を削るような思いをした。
そのくせ、今もあまり上手には使えていないみたいだ。

あの250円は、ただの250円ではなかった。
同じように、これから100万円、200万円、1000万円と使っていけるようになりたいのだ。
なりたいのだよ。
切実にそう思うのだよ。。。

つよく生きていきたい。