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「やり抜く力」ブックレビュウ②

前回のレビューは、この本を読んで泣きまくって、なんでこんな泣けるのかというと自分の無力さを思い出してすごく悲しくなって涙が止まらなかったという事だったのだけど、じゃあ個別にハウツー的なものを見ていこうか、というのでその2を書きます。

一個目はこちら。

グリットという言葉は、やり抜く力と訳されている。

GRITは、滑り止めの砂という意味で、不屈の精神とかあきらめない闘志みたいな意味らしい。
途中でgridというワードも出てきて、こっちは焼き網(ケーキとかを焼いた後のせて冷ます網の事をグリッドっていう)の事で、グリット・グリッドというマス目状のアンケートみたいなのがちらっと出てくるのでちょっと混乱していました。
あとグリットってなんとなく「握力」みたいなイメージをしていたけど、それはグリップ(grip)でした。

grit=やり抜く力。
ちょっと微妙な、どんくさい訳のような感じもするけど、そこに「この本を読むビジネスマン層の言語感覚」へのマーケティング感が見える気がしないでもない。

で、このグリットを分解すると、いくつかの側面がある。

①目標の構造
目標は下位・中位・上位の階層構造になっており、最上位の目標のためにすべての目標がピラミッド状に構成されている。そして、最上位の目標が唯一のコンパスとなる。
このコンパスの指示に従ってすべての目標を達成していくことがグリットを形成している(1章に詳しい)

②グリットを持つ、あるいは強くするには4つの要因がある。
・興味…興味があることでないと人はやろうとは思わないし、ましてややり続ける事は至って困難
・練習…いくら興味があっても正しい練習方法を取らないと成長は止まる。下手の横好きと好きこそものの上手なれを決定的にするのは、この練習方法にある
・目的…社会的意義や、これをすることで得られると感じる大きな意味や価値。行為そのものより、もう少し大きな視点で感じられる目的がないと、大きな業績にたどり着くことは減っていく
・希望…どんなへこたれる状況においてもそれに負けない気持ち。原因は固定的なものではなく一時的で変動する可能性があると信じて継続する判断力。

③才能は努力によってスキル(技術)になり、スキルを重ねる事で達成する
才能=達成ではない。
才能が一直線に成功につながる訳ではないのは、才能とスキルが別物であるからで、成功もスキルの積み重ねであるからだ。それを努力(=興味を持ってよりより形になるようトレーニングを重ねる事)することで、達成する。
ちなみに、スキルというのは「数年ごと」に「3段階」のステップを踏んで伸びていくという研究もあるらしい。

ざっくり整理すると、こんな感じだろうか。
もっと詳しくまとめる事もできる分厚い内容の本なのだけど、とりあえず私の興味のある範囲でかいつまんでいる。

まず重要なのは目標設定

世の中の多くの人は、しょっちゅう挫折しただの失敗しただのと嘆く。
嘆くことが趣味なのだ。
でも、彼らが失敗したとか挫折したというのは、まず目標設定で言うところの下位目標でうまくいかなかっただけの事が多い。

おそらく、このやり抜く力というのは、1/3を目標設定で、1/3を練習で構成されていて、残りの1/3にいろんな各論が入ってくるんじゃないかなという雰囲気がある。

まず目標というものが階層構造になっていることを理解しなくてはいけないんだろう。ここで失敗すると、単純にうまくいかなかったことを失敗とすぐに結びつけてしまう。

下位目標は「会社に遅刻しないために早起きする」「電車に乗り間違えない」などで、それに対する中位目標は「職場に迷惑をかけない」「上司からの評価を高くする」などになる。
その先の上位目標には「年収をあげてリッチな生活を楽しむ」とかになるのかもしれない。
この目標設定を、目の前の事だけを設定した下位目標だけが並んだリストを作って「これを全部やるぞー」というのが一番よくないのだと思う。なぜなら、下位目標はうまくいかないケースがゴロゴロしている。日常的な内容だからこそ余計に雨が降っただの残業が多かっただので物事が進まない。ここに照準を合わせて評価を下すので「失敗した」「挫折した」などという事になる。
単なる試行錯誤の段階なのに、成否判断を持ち込んで、自分を苦しめているのだ。

本来、絶対に変えてはいけない目標はただ一つ、最上位の目標だけだ。
だが、これをはっきりと自覚できるのは、とても難しい事じゃないかと思う。長い事いろんな経験を積んで、ああ私はこれがやりたかったんだなってわかることって多いし、そうじゃないと見つからない。
だから、最上位の目標は「唯一のものが必ずあるが、もしかしたらもっと遠くにあるのかもしれない」と思う程度で、現在わかっているレベルの上位の目標を優先するほうがいいんじゃないかと思う。

少なくとも、下位目標に成否判断を持ち込んではいけない。中位以上の目標に対してではないと、意味がない。
下位目標の試行錯誤段階を成否判断していると、結果として自分で自分に無力感の学習をさせてしまう結果になっていくと思う。

まず目の前の目標は、もう少し先の目標と一致しているのかどうか。
もう少し先の目標はその先の目標とちゃんとつながっているのだろうか。
これを考える事がすごく大事だと思う。

・すぐに失敗したと思うのは下位目標ですべてを判断しているから
・すべての指針になるコンパスは最上の目標たったひとつ
・中位の目標もいくつかあるので、判断は最低限中位以上の目標で行う

まず第一歩として考えなくてはいけないのはこれだと思う。

目標は、複合しているものが効率的

これは個人的な体験なのだけれど、以前ビジネスを立ち上げるときに目標を設定したのだけれど、「田舎に雇用を生む」「借金返済」「受付嬢との二足のワラジで成功して天才って言われる」「買いやすい値段でお客さんに喜んでもらう」「おいしい商品を丁寧に作る」といういくつもの目標がすべて達成された時、それは結果としてうちにお金が入っているという状態になっている、というのが私の目標だった。

借金返済が目的だったけれど、過疎地にビジネスを起こすって並大抵の事ではなかった。お金はないし、金がなくて困っている両親は働きたがらない。私にお金が入ってくることも考えられないから、お金以外のモチベーションを作らなくてはいけない。
これらを総合して、ドミノ倒しのようにひとつの事が達成できればいくつもの目標がクリアできるという脚本を作り上げた。

つまり、私がどうしてあり得ない状況でめげることなく成功にまで持って行ったのかというと、まず目標設定が正確だったから、という事が言える。

借金返済を下位目標にしなかった。
それは上位目標にして、中位目標にはビジネス創造をあげた(月商10~20万円が10年続く事が最初の目標だった)。そのために、商品開発と広報を行った。まちがいなく、これがとても有効だった。

目先の目標ではなく、中位、上位の目標を設定する事。
世の中ではそれをビジョンといったりするけれども。借金返済なんて、ビジョンなんておきれいな言葉ではちょっと説明しにくいものだったから、そんな概念はなかったが。

希望を持つことは、無力感を捨てる事

さて、もう一つ、私にはわからない事があった。
なんであんな恐ろしい逆境の中で、あっさり腹が決まったのか。背水の陣だから頑張ったというのは、一体どういう事だったのか。それをずっと考えていた。

この本を読んでわかったのは、私たちは子供のころから親に無力感を教え込まれてきたという事だ。
だって子供ってうるさいし言う事聞かないしね。
だから「お前は無力だ、黙れ」って言われて押さえつけられてきた人はいっぱいいると思うし、忙しい親はそうなっちゃうのも仕方ないと思う。
でもそれを続けていていい事はない。
なぜなら、大人になってからも、自分に対して無力さの学習をし続けてしまうからだ。

無力さを実感すると許されたりご褒美をもらったりして来て、すっかり我々の中には「無力な自分を感じる事が結果を得る方法」という感覚ができている。
残念なことに、これは管理者がいる場面でしか有効ではないし、大人になった時に管理者がいる場面というのは格段に減る。
でも、幼い時からこの方法がうまくいったのだから、そこから抜け出せないのだ。日本語で育っちゃったから、中国語は話せないのと同じで。

でも、学べば中国語を理解し、ある程度話すこともできるようになる。
それと同じことが、考え方や振る舞いの中にも応用される、という事を、なぜか私たちはすっかり忘れている。
そして、ただただ無力さを感じるための行動で結果を得ようとしているケースがあちこちにある。

わざと失敗したり、わざと挫折している。
というか、失敗した、挫折したと感じたがっている、というか。

これを私は「役に立たない取引」あるいは「負けのカード」と呼んでいる。
負けのカードを切ると、相手が許してくれる。
結局、判断が相手任せの無責任な態度なのだ(本人は精一杯の誠意を見せていると感じていることのほうが多いけれど)。
これのために、延々と無力感を学習し続けて、最終的には本当に自信を失ってしまう。

いざ目の前に酷い状況が起きた時、私にはずっと両親が切り続けてきた負けのカードが山ほど見えた。
最初はお客が来なくても仕方ない、立地が悪いから仕方ない、この辺の人はこの料理の意味を分からないから仕方ない、……みたいな負けのカードを切り続けて、気づいたらあとがなかった=借金の山。
ああ、もう一回も負けていられないんだな、全部勝たなきゃいけないんだ、という事だけがはっきりとわかった。

その時まで、選択肢に「失敗する」「挫折する」「あきらめる」というのがあったのだけど、その「失敗、挫折、あきらめ」の先にあるのが「自殺かホームレス(私が)」というものなのだというのがばっちり見えた。
つまり、選択肢が「大成功する」「うまくいく」「自殺orホームレス」の3つだった。

無力感を感じる事でうまくやるという方法は、自殺orホームレスへの直通切符だった。それはわかった。
選択肢には、失敗するとかあきらめるというものはもう存在しなかった。
ナポレオンの辞書じゃないが、存在がなくなった。私が生きている限り、失敗は絶対に取り戻すし挫折なんて今うまくいかなかっただけで、2年以内には絶対に何とか取り戻してやる、というものでしかなかった。

希望を得る事は出来なかったが、無力感を捨てたのだ。

私は、ずっと無力感でいっぱいだった。
今でもそうだ。すごくそう思う。
この本を読むたびに、その無力感を思い出して涙がこぼれる。外で読めば泣かないかもと思ったけど、ドトールで涙をボロボロとこぼした。
それでも、その時はその無力感を捨てたのだ。こんなやつは何の役にも立たない。金を稼げないモノは意味がない。自分のエネルギーを失う事は厳に慎まなくてはいけない。私のモチベーションがすべてなのだから。

そうやって、たった3年で過疎地の倒産レストランは、100箱80秒で完売するお取り寄せのお菓子のお店として復活した。

継続力よりも重要なのは集中力

やり抜く力というと、自動的に人は継続する力を想像する。
当然、長い時間何かに取り組むという意味もあるので当然なんだけれど、実のところ重要なのは、集中力のようだ。

世界レベルのアスリートのケースが多くのせられているのだけれど、それでも1日5~8時間が集中力の限界だという。
それによく仮眠もはさまれる。

世界トップレベルでこうなのに、なぜか一般人も「毎日1時間は継続しよう!」とか言いはじめてしまうのがトラップなんじゃないだろうか。
一般人、集中力を高めて事に当たれるのは30分くらいなんじゃないの?
それを毎日っていうのも結構きついものあると思わない?
一般人がへたくそなのは、とにかく目標設定もダメなら、練習のプログラム作りもダメなのだ。そこがわからない!

私は「3年間でなんとかする」と宣言して宣言通りになったのには、この集中力のほうが何倍も重要なファクターだったと思う。
大体2年くらいは集中力が途切れなかったのだ。
なにせ「寝ている間も考えよう」と決め込んでいたので、一瞬もそれを手放さなかった。

これだけ集中しても眼力で人を殺すことができないので、人間つまらない。

それはいいとして、とにかく、「継続し続けられないんです」みたいな話を聞くと、「継続の前に、それにどれだけ集中できているのかが大事じゃないの?」と思うし、「続けられない事は続ける必要がない事。そこを叱るのは課題を提出させないといけない教師だけで、既に存在しない脳内教師のためにやりたくもない事をやり続けるの?」みたいなことになる。

本当に戦うべき相手は、脳内キャラクターではない。
私の場合は迫りくる借金だったし、いまいち働く気がしない母親だった。
脳内の架空の支配者のご機嫌を取ることをズバッとやめて、すべてを現実に集中させた。これが大きな要因だったと思う。

100%いまここに向き合う、っていうのは、いろんなセミナーで言われているんだけど、出展はゲシュタルト心理学になってくると思うんだけど、それには「自分が何にエネルギーを散らしているのか」をある程度理解していないとできない。人間はバカなのだ。ちゃんと効果的な練習プログラムを組まなくてはいけないし、それには「単純に頑張る、疲れるまでやる」みたいな根性論では話にならないが、我々は根性論しか知らなかったりするし、それしか知らないという事にも気づけない。

正しい練習、正しい集中を、どれだけ多くやれるか。
それが先に進む唯一の方法で、それを努力と言い、その努力をし続ける力の事をグリット=やり抜く力と呼んでいる。

単純に何かをだらだらと数年続けることがやり抜く力ではないのだ。

GRITは必要ない(全員にとって)

個人的に、レビュウその1にも書いたけれど、グリット=やり抜く力なんて、本当は必要ないのだと思う。
これは、つまり向上心であり、不撓不屈の精神だ。校歌にありましたね、この一節(私のいた学校はとにかく校歌が長くて有名だった)。
これが必要な人、絶対必須な条件だという人はあまり多くない。
あったほうがいいけど、なくたって別にたいして困らないのだ。

1章に出てくるマッキンゼーのウォー・フォー・タレントという考え方。才能のための戦争と直訳するのかな。才能のあるものを最優先し、才能のないものを切り捨てるという考え方だ。
これによる弊害が巨大企業エンロンの崩壊を例に説明されている。
エンロンでは、毎年成績下位15%の人を問答無用で解雇していたという。つまり、絶対に誰かは解雇されるという事だ。それによって高い水準の人材をキープしようとしたのだけれど、結果として起きたのは相手を出し抜くことに長けたナルシシストの温床になって、アメリカ史上に記録されるような倒産につながったという。
才能のみで人を判断して、そこで競争させることでそれを伸ばそうとするのはどうにもうまくいかないらしい事がわかった。
競争よりは、グリット=やり抜く力という性質がはっきりある人と、その性質を伸ばせる集団や環境のほうがよほど生産性が高まっていくという事が解明されつつある。というのが本書の意義だ。

かといって、全員がやり抜く力=グリットを持てばいいのかというと、別にそんな事はない。安全に未熟なままだらだらと生きている人だって人権はある。生涯年収は低いかもしれないが、それと人権やその人らしさや自由は同一ではない。

ただ、きっとグリットはあったほうがいい。
少なくとも、それを持っている人は、確実に「今よりも未来は素晴らしいものになる」からだ。それを持っていない人は、未来は今よりちょっとずつ目減りする。人間は確実に歳を取って、なにかを失っていくのだから。

ただ何かに守られ続けて未熟なまま生きる事がよしとされるのなら、それもいいだろう。箱入り娘の専業主婦みたいな生き方もあるだろう。
でも、私にはなかった。
だからって悲しむことはない。まだまだできる事はたくさんある。
つまり、グリットとはそういう事だ。人生をあきらめなくていいのだ。


やり抜く力――人生のあらゆる成功を決める「究極の能力」を身につける
アンジェラ・ダックワース (著), 神崎 朗子 (翻訳)

つよく生きていきたい。