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いい仕事ってなんだろう

雇われの仕事をやめて、しばらく自分の仕事一本でやることにした。
と言いつつ、実はあまり覚悟が決めきれていない。
正社員を辞めるならそれこそ戻る橋を燃やしたような覚悟になるかもしれないけど、派遣社員だと別にそういう気持ちにはならない。
それでも、保険証を返したりする中で、着々と「怖さ」はやってくる。

いい仕事って、なんだろう。
最近そんなことを考える。

雇われの身におけるいい仕事とは、上司の覚えめでたいはきはきとした受け答えや作業の速さ、物覚えのよさなんかがあるけれど、自分の仕事をする時には「上司の覚え」なんかないわけで。

一体どんな時に「ああ、今日はいい仕事したわー、ビールがデリシャス」みたいに思うのだろうか。

自分の仕事って、たくさんある。封筒買ってこなきゃ、カッターもいる、請求書を作って入金も確認して、経費を会計ソフトにいれなくちゃ。
あの記事書いて、SNSに上げるタイミングはどうしようか、ってサーバーが緊急メンテナンスでサイトが開けないって何それ困る!
みたいなことを、延々とやってる。
そしてその間に、新しい商品を作ったり、ご飯食べたり家賃払ったり国勢調査に回答したりする。

睡眠不足はよくないけど、最近全然うまく眠れないんだ。
一日ちゃんと夜眠れる日があると、次の日は眠れない。
カフェインも控えて、軽い運動もしてみるんだけど、どうもだめ。

そんな「生活」と「仕事」がシームレスになっていくのって、少し、少ーしアリ地獄に足首まではまってしまっているんじゃないかと気づき始めている。

ありがたい事に、ちょうど繁忙期でもあるから、商品は着々と売れており、これと言って目立った動きはなけれども、静かに実績を重ねている。取り急ぎ目先のお金で心配はそれほど必要ないと思う。
そもそも大きな金額を動かしている訳じゃない、ミニマルなスモールビジネスだからその規模の中では上々の出来だと思う。

でも、それはよーく考えて練り上げた「構造を持った商品」がもたらした構造的な成功であって、もちろんそれを考えたのはわたし自身だけど、でもいまビールがデリシャスになるような、必殺仕事人が仕事のあとに「この一杯がうめえ」みたいな気分になるような、いい仕事ができてるんだろうか。

多分、実感がないってことが、いま一番の「欠落感」なのかもしれない。

確かにお金はできた。売上が立った。それはもうこの世界の善意が集まってきたかのようなきらめきをもって、口座の数字が増えていった。
(ひとつひとつは砂場の砂の中にある石英の粒のように小さな金額だけれど)
それこそが、私が追い求めていたものだ。このきらめき!しかしそれが「いい仕事をした」という実感とは、またちょっと違ったみたいだ。

売上が立たないビジネスはビジネスでなく、利益の生まれないビジネスは社会悪である。浪費であり、無駄なゴミを生産して貴重な資源を減らす泥棒であり、場合によっては犯罪にさえなる。
だから、わたしは絶対に「利益の出ないビジネス」はしてはいけないと思う。
しかし、ここでいう利益とは、別に「お金」のみで計るものではない。どっちかというとお金は副産物。でもちゃんとお金が生み出せないものは、やっぱりこの資本主義社会では資源泥棒。だからちゃんとお金は作らなくちゃいけない。

それがいい仕事とはすごし違うのは、いわゆるいい仕事って手仕事的な、俺がやったでドヤ!みたいな感覚がどうしても幾分かは支配しているのだと思う。
構造を生み出す仕事は、頭脳労働で、仮説がいかに精度が高いかによって結構変わってきて、仮説の精度が高いほど作業は楽で簡単だから、「やりがい」が少ないのかもしれない。逆に言えば、うまくいっているってことなんかもしれないけど。

ただ、大事なのは、仮説の精度の高さというのは一時的なもので、常に状況は変わっていくから、やることも常に変えていかないといけない。一回うまくいったからって次も巧くいく訳じゃない。だからずっと考え続けなくちゃいけない。

そういうことを考えていると、手仕事的ないい仕事をした感が薄れていく。

達成感が薄いってことなのかな。
デリシャスビールを飲むにはどうしたらいいのだろう。

もっと働けばいいのだろうか。
昼まで寝てないで。

結局、いい仕事をしたという充実感が欲しいっていうのは、個人のエゴなんだなあとも思う。
小さいけれどそれなりにビジネスを回して、確実に成長が見えて、大切にしてくれるお客さんも面白そうだなとみている外野もふえて、ちゃんと動き始めている。それを大切にしていく段階だけど、自分の充実感とかが欲しいというのはちょっと違うんだろうなと。たとえ自分のビジネスであっても、経営判断と自分の趣味は微妙に乖離する。
誰かに褒められたらそれは嬉しいから、いい仕事したなー役に立って私って存在価値あるなーって思えるけど、自分の仕事においてはそういう「他者から認められるタイミング」って想像以上に少ない。
そして、経営が大きくなるほど不安要素もいろいろ出てくるから、そこから目を背けるために「充実感」が欲しくなったりする。

つらいなー。
いろいろ、つらいなー。
デリシャスビールは、まだ先になる。もしかしたら、一生飲めないかもしれない。
それでも、そういう仕事の充実感とか、今日もおいしいお酒ですね、みたいな事をすべて捨てても、わたしはこのビジネスをやりたいんですよね。
そこだけは譲れない。
これだけ長い泣き言を書き連ねても、満たされなかったり睡眠障害になったりしても、絶対このビジネスを完成させて、その価値を必要な人に届ける仕組みを構築して、スゲー苦しいと思いながら毎日を生きている人がほんの少し楽に息ができるようにしたいんですよ。

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つよく生きていきたい。