【貴婦人と一角獣展】ユニコーンが人間の男なら最低最悪な男だと思う

(2013年6月22日の文章)

7月15日まで、国立新美術館で開催中の「貴婦人と一角獣」展。

なんとなーく見た覚えのある、サーカスの絵のような
ぎこちない図柄のちょっと下手なユニコーンの絵

そういう曖昧なイメージだけがあった 「貴婦人と一角獣」
でも、曖昧なイメージのわりにはしっかり覚えている。
外国の古い文献のファンタジックな学術的資料ではなかったっけ?

と思いながら、

「6枚の連作」
「日本でコンプリート状態で見られるのは稀」
「絵じゃなくて、じゅうたん」
「でかい」
「とにかくでかい」
「ちょっとぼろい」

という噂を耳にするたびに気になって、いってきました。

美術館に行くのは絶対にアサイチ!ときめいている。

それから、絶対に一人でいく。
あと、音声ガイドは必ず使う。

そして、一人で作品に「つっこみ」をいれながら見る。
浴びるように見る。
この絵を、作品を描いたり作ったりした人間の姿を探すように見る。
その作品を見続けてきた人々の姿を思いながら見る。

そういうことができるので、美術館は無言だけど楽しい。

「貴婦人と一角獣」展は、なかなか人気があったようで。
アサイチでもずいぶんたくさん人がいた。
込みすぎでうんざりするほどではなかったけれど、週末の午後などは
とても見にくいと思う。

入り口から、大きなホールへ。
そこにぐるりと一面に、緋色の大きな壁掛けがめぐらされている。
六枚の織物(タピスリー)。

なんというのだろうか。
子宮の中、とでもいうような、ひとつの安全に囲まれた空間。

清潔で近代的な建物の中での展示のせいなのか、
古びた織物のもつ時代がかった存在感が
違和感として奇妙に際立っていた。

いつもはフランスのパリのクリュニー中世美術館という古びた建物に納められているそうです。
古めかしい素朴な素材でデコラティブに飾り付けた建物。
こういう建物のなかなら納得がいく。

(「貴婦人と一角獣」の展示の様子のわかる写真もあるサイト

「触覚」「味覚」「嗅覚」「聴覚」「視覚」「我が唯一の望み」

描かれているの同一人物の貴婦人だというけれど、どうしたってそうは見えない絵柄の乱れ。
漫画だったらストーリーが追えないくらい顔が違う。

どれも千花文様というあまりに正確な草花が繰り返し織り込まれている。
当時のスタンダードスタイルで、工房で職人が手作業で(当たり前か)織り上げるものだという。
草花は正確すぎて何の植物か図鑑並みにわかる。デフォルメという技術がない時代だったのだろうか。
草花だけではなく、「なぜここに?」というほど唐突な動物モチーフもたくさんある。
特にうさぎがかわいい。かわいいが、いっぱいいすぎるし、意味がわからない。ディズニーのしゃべる動物たちみたいに、唐突に絵の中にいる。
本当はそれぞれに意味があるそうだ。(ウサギは多産なので富が増えるという意味だとか)

五つの感覚を表すといわれている(正確なことは不明なのだそうだ)タピスリーと、最後の意味深な言葉「我が唯一の望み」という言葉が織り込まれたタピスリーの六枚で一揃えらしい。

展示では、この当時の文様やタピスリーのゴブラン織りなどについても
細かく考察している。
服飾や織物などの歴史的資料としてとても勉強になると思う。

「嗅覚」のタピスリーは、侍女が匂い立つ花を載せた盆を貴婦人に掲げ、
貴婦人は花びらで冠かなにかをつくっている。
うしろで猿が薔薇かなにかの花の香りをかいでいる。
(この猿は味覚のタピスリーではなんか食べてる)

織り込まれている花の文様も香りの強い花々。
そもそも、香りとはかぐわしく咲く花々のことだったはずだ。
瓶に詰められた液体ではない。

けれど、このタピスリーから何か香りのようなものが漂ってくるということは、ない。
華やかさはあるけれど画面はぎこちなく、学術的価値のほうが高く感じる古臭さが強い。
なにかの香りを示すのではなくて、まさに「嗅覚」というものをあらわしているだけ。

このタピスリーは、いろんな説があるらしい。
「中世の宮廷的恋愛」という言葉が何度か音声ガイダンスにも出てきたけれど
つまり上流階級は、夜な夜な肉欲の宴が繰り広げられていた、ようだ。
そこからの脱却と、より高い精神性を求める姿を説いているという説がある。

一角獣はとても神経質な動物で人を嫌い森の奥に隠れており、処女だけに心を許すとされている。
以下、うまくまとめてあるサイト(怪物森羅万象)から該当部分を引用すると

美しく装った処女を用意して、彼女を野原にひとりで残すと、森の奧からユニコーンがやってきて、処女に寄り添います。そして、しばらくすると処女の膝の上 に頭を載せて眠り込むので、その隙に捕まえるのです。ただ、その処女が偽物、つまり非処女であることが分かった場合は、激しく怒り狂い、その女性を八つ裂 きにして殺してしまうそうです。

森の奥に隠れ、人間に飼われるなど誇りが許さず、死ぬかもしれない崖から飛び降りてでも逃げるし、
うっかりつかまったらショックと悲しみですぐ死ぬらしい。

一角獣、すごいコミュ障で引きこもりで処女厨。人間の男だったら最悪かもしれない・・・。

ま、そういっちゃうとアレなんですけど
結婚は家同士の政略的な契約に過ぎず、宮廷の宴の乱れた肉欲に疲れたような人々にそういう「清純で孤高」な存在が美しいとされることはなんとなくわかる。

それに一角獣狩りのために野原に一人残された美しい処女と、そこに現れる幻の獣なんて絵画のテーマとして本当に美しい情景じゃないかと思う。

「我が唯一の望み」で重い黄金のネックレスだろうか、
ベルトかなにかだろうか、
それを箱の中へしまおうとする貴婦人。
もしくは、取り出そうとする貴婦人。
見方はいくらでもある。

音声ガイダンス(池田昌子&池田秀一)は語る。
しまうのなら、富と権力と肉欲にまみれた世俗の欲望を封印しようとする気高さをあらわす。
でも、もし取り出すなら、この世の五感が与えてくれる喜びを自らの意思で制御し、認め、感じようとする姿勢と見るかもしれない。

わたしは、できれば後者の、
溺れることなく自ら五感で得る喜びを感じながら生きていきたい。
箱から黄金の装身具を取り出して、
生きている世界にその喜びがあることを知らせて微笑むほうがいい。

と思った。

あと、見所は「一角獣」じゃなくて「獅子」のファニーフェイス!
「触覚」ではやたらとくりくりしたおめめぱっちりになってるし
「視覚」ではイケメン一角獣が鏡をのぞいてうっとりしているのを「ヤッテランネー」みたいな顔でそっぽ向いてたりと、
どのタピスリーでもイケメンな一角獣にくらべて獅子の扱いがちょっとひどい気がする。

視覚のタピスリーの左上、獅子の子とウサギが見つめあっておだやかな空気が流れます…みたいなガイダンスがありましたが、絶対にウサギは死にそうな思いをしているに違いない。
全体的に、とにかくウサギが多いので、ウサギ好きは見に行くといいと思う。

タピスリー以外では、<婚約用あるいは結婚用の小箱>という木彫りの箱。
貴婦人が愛人の足に鎖をつけている様子が彫られています、という解説。
中世上流階級の宮廷風恋愛、なにやってんのよ。

(おわり)

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