見出し画像

時代劇大好きなのですが

時代劇いいですよねー。
この前は「十三人の刺客」がいかにいいかを語り合ってしまいました。
あれはよい。話の筋は大雑把だけど、お互い優秀だったから大惨事になっちゃったという優秀さの災害化の話です。

時代劇と言えばの「この紋所」「ハハー」の様式美。葵の御紋をチラ見せして全部チャラにしちゃうパターンとか、日本のスーパーマンのスタイルって基本的に「偉い人」なんだよねえ。
御家人斬九郎は、貧乏だけど「下手したらその辺の大名格よりずっと上」という血筋でいろいろ無理を通す。
破れ奉行は血筋じゃなくて「上様のお墨付き」を持っているという意味での葵の御紋なので異端。
長七郎は基本の基本、将軍の甥だけど市井の一浪人として生きるという、庶民の憧れスタイル。水戸黄門も同じスタイル。暴れん坊将軍は、本人がという思い切った感じ。

旗本退屈男などは、豪快に笑ってすべてをごまかしていくスタイル。
でも貴族的な地位にある人間。

どれもいいのですが、時代劇のよさって「これが基本」「これが最初のスタイル」みたいな、その時代の最新の感じが漲っているのがよい。
特に今の時代まで何となくコンテンツとして残っているものは、そういう側面が強い。

またテレビと映画の違いも如実だ。
テレビは時報的な役割を強く持っていたので、ある程度マンネリをしなくてはいけないし、マンネリに耐えられるだけのシンプルな構造が大事になる。
逆に映画は今のように何度も見ることは想定されてないので、一発でバチンと記憶に残らないといけない。

モノクロの「十三人の刺客」は、やはり大画面で見てわかるようになっているんだなあと思った。iPadで見てはダメなのだ。

モノクロの銭形平次を見ていると、舟木一夫がいかにアイドルだったのかがよくわかる。
とってもわかりやすいちょっとミステリアスでひたすら顔がよく、カッコいいポジション。顔のよさを最大限に生かして「こんなカッコいい若い男がかっこいい感じで決めてくれたら」というパーツにばちーんとハマっている。
カッコつけたい、カッコいいを見たい、というニーズをプロがピタッと埋めてくれる。そういう心地よさ。

また、黒澤映画は時代劇というくくりでいいのか謎だけど、なんというか映画を撮りたいというよりも「映画って言えば城とか燃やしていいの!?燃す!!」「映画なら人間に矢を射ってもいい!?射る!!」みたいなはしゃぎを感じる。

任侠映画は、男が男に惚れすぎ。本当に男同士のイチャイチャがすごい。
直截的なエロ表現にしていないだけです。ものすごいラブ。
「あっしは!おめえさんに惚れた!!」って叫んでるんだもん。清水次郎長シリーズとか。

時代劇はほとんど男性の男性による男性のためのエンタメになっている。出てくる女はうるさいおかみさんか、可憐な奥様か、レイプされる若い娘。
レイプされる若い娘は必須アイテム。

杉良太郎のアイライン、萬屋錦之介のアイシャドウに加えてキムタクのコンシーラーは、日本三大メンズメイクだと思います。

私の好きな作品は、長崎犯科帳、十三人の刺客、御家人斬九郎(セカンドシーズンあたりが一番いい)あたりでしょうか。
必殺シリーズの初期のものも好きです。

忠臣蔵も、いいですよね。あれは江戸時代から脈々と続く物語なので、正しい古典って感じも含めてとてもよい。
忠臣蔵は本当にひどい話ですよ。テロに等しいリンチを、世論が支持したどころか、そうしろと世論自体が煽っていったというところを何となく美しい感じに仕立てているところが本当にひどい。途中で仇討脱落者が出るところを人間味のある悲しいエピソードにしているあたりもカーーーーッて感じだ。
がんばって無血開城した大石内蔵助なのに、テロ行為して自殺(切腹)という無為な行為。それがかっこいいわけですよ、そういう価値観。新しいものを作り出すとかじゃなくて、なにもなく、むしろ面目というよくわからないもののためにみんなすり減って死んでいくし、死なないとおさまりが付かないという、生産性が全くない話です。
それでこれだけの期間、金を生み出すコンテンツになるのがまたねえ!いろいろ思うところがあるよねえ!という気持ちになります。
今の時代の価値観や倫理観から見るとそうなるということで、今の時代の価値観をもう一度感じ直す事にもなる。
忠臣蔵は史実をベースにしている分、どういうふうにデマが出て、デマが支持され、文化芸能に着地するところまで見えてくる(それが正しいかどうかは分からないけど)というところも、なにかダイナミズムを感じます。
一説には吉良上野介は非常に優れた殿様で、浅野内匠頭は癇癪持ち(なんらかのきつめの精神疾患を持っていた可能性)だったらしいということで、それが「虐げられた若い殿様と老獪でいじわるなクソジジイ」にすり替わっていくところも、なにか「ああー」ってなります。

鬼平犯科帳の長谷川平蔵は、現代で指摘されている「有害な男性性」の結晶みたいな存在だなーと思う。
あれは鬼平が極めて優秀でスタミナもあり、部下にも恵まれ、すべていい感じに話が進むからヒーローに見えているだけです。
で、その「いい感じにすべてうまい事いく」ことを見たくて、我々は鬼平犯科帳という物語を求めるのです、たぶん。
鬼平本人はスーパー男尊女卑思想だけど、「だから弱い立場にある者を助けなくては」という形に着地させているのでよりカッコよさが際立つんでしょうね。平等だという思想だと、弱い者を助けるカッコよさがここまで光らないんですよ。
必殺シリーズの、物語前半に出てくるめっちゃ幸せそうな人たちが中盤で悲劇的な事態に陥り、結局生き残った者がビタ銭握りしめて「あいつを殺してくれ」と頼みに来るという、前半が幸せなほど盛り上がるパターンです。

なお、鬼平はスペシャルでたまに古いメンバーがそろって同窓会みたいな感じのものを放送してましたけど、その時に鬼平が部下の女密偵・おまさを叱責して「女の浅知恵が!」みたいなことを言うんですね。このセリフ、この時代にいわせたかったんだなーって感じがすごいありました。
女を叱り飛ばす強い男というものを、めっちゃ求めてる層がいる感じがビシビシ伝わってきました。
今はほとんどの主要メンバーが鬼籍入りです。

今の時代、とにかく新しい物語を生み出すのはむずかしいし、かといって古いものはつまらない。
時代劇はある意味すべて終わった話なのだけど、製作時の「新しいものを作っている」という意気込みみたいなものが感じられることが多い。
それがとてもよい。
同時に、なにか職人的な、とても安定感のある役者っぷりが見られるのも、妙な安心感があることを否めない。別にすごくおいしいわけじゃないけど安心する味の、いつものあれ、みたいな。
そして、少し前の時代の価値観のかたちを如実に感じられる。
NOコンプライアンスワールドな時代なんだけど、その中でも時代劇はまだルールや規範があるので、ある意味完成された世界観を保って現在でも十分面白く感じられるのかもしれない。

NOコンプライアンスワールドなのは、戦後の刑事物ですね。
大都会part2、好きです。突然外科医になっている石原裕次郎。ファーストシーズンは違ったよね!?しかもむずかしい手術をして、手術室から出てきて即タバコです。タバコ!酒!タバコ!街中で銃を乱射!おっぱいは全開!
あのあたりの作品も、そろそろ時代劇枠に入りそうです。

ここから先は

0字

¥ 250

期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

つよく生きていきたい。