旅に持ってく、捨てられる
文鳥文庫という、文庫をさらに小分けにしたものがある。
文鳥社
なんとも清潔感のある台ふきんのような存在感で。
キュッと整ったおにぎりのようなシンプルな作りで。
装丁は、一枚紙を折りたたんでいるだけ。
一冊の本さえ重さになる非力な私には、長時間移動のある旅になかなか素敵な存在だなあと思った。
文鳥文庫は、長くても16ページしかありません。短くも、深く、面白い名作文学を集めた文庫です。
(文鳥文庫)
芥川龍之介の藪の中の入っている第三弾をこの前渋谷のSHIBUYA PUBLISHING & BOOKSELLERS (シブヤパブリッシングブックセラーズ)でかった。
私はセットで買ったけど、バラでも買えるのがとてもいいと思う。
オシャレ枠な感じがあるけれど、中身は文庫。
この装丁で、自分で印刷してしまってもいいなあと思うくらい、モノとしての手触りがいい。
オシャレでなくてはいけない。
知的でなくてはいけない。
そういう鎖が飛び交う中で、オシャレで知的なものを持つ。
ただ、これはとても薄っぺらで、弱くて、カバンに入れていたらくしゃくしゃになってしまいそうで、一番いいなと思うのは、そういうところだったりする。
オシャレで知的なアイコンをくしゃくしゃにできる可能性は、こういうぺライチの紙でできているからに他ならない。
いくら薄っぺらい文庫本でも、手で破くのはそれなりに厄介だ。
もっと薄っぺらいわら半紙みたいなものに印刷されたものがあってもいいのかもしれない。もっと簡単にくしゃくしゃにしてみたい。
くしゃくしゃにした素敵なもの。
そこにがっかりするのは、子供なのだと思う。朽ちていく、失われていく、もう二度と手に入らない事を何回か経験して、それでもそれを愛したり大切に思ったりするのは、大人になってやっと許されたわずかな、圧倒的に贅沢な感覚じゃないかと、最近思う。
つよく生きていきたい。