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選手になれなかったたくさんの子供たち

わたしの生まれ育った土地は、豪雪地帯でオリンピック開催地でもある。
正確には開催地の隣接地域というか。

その地に生まれた子供は、とりあえず全員が一度はスキーの選手になるかどうかという俎上にのせられる。
どう考えても無理そうな子や、やりたくない子であってもだ。

問答無用で学校に行ったらスキーを履いて、校庭を10周してから朝の会が始まる。

体力づくりの意味合いも強いのだろうけれど、途中からスキー選手になる子の選抜みたいな事になり、スキー部は自分の意思で入るというよりタイムのいい子は「入るべき」という空気に包まれて入る事になる。

そして、年に一回は全児童が長距離を走ってタイムを取る記録会というのが行われる。このレースも問答無用で全員参加だ。

私はこれが嫌で嫌で、途中から合唱隊に入った。
合唱隊というのも、けっこう体育会系なのだけど雪の降る地方は子供が外で遊べない代わりに合唱をさせるみたいなところがあって、実は隠れた強豪小学校だった。
代わりに、野球などは練習期間が他の地域の半分になってしまうので、どう考えても甲子園に出る事ができなかった。

合唱隊に入って、そこはそこでなかなかの体育会系だったけれど、まあまあ歌えてオーディションも通過してNHK児童合唱コンクールに出場メンバーにもなった(隊員が多すぎてコンクールに出られるかどうかは合唱隊の中でオーディションが行われるレベル)。
全国優勝はできなかったが地区予選はいつもトップをしのぎ合っていて、僅差で負けた小学校がその年に全国優勝をしても、かなりスポーツマンシップにのっとられていた小学生の私たちは「あの学校が優勝できるのだから、私たちにだって!」「○○小学校の皆さんおめでとうございます!」みたいな感じだった。マジで。
ステージ練習といって体育館のステージで歌う時は、最後に体育館にお礼の校歌を三部合唱にアレンジして捧げる。マジで。

つまりそのくらいしのぎを削る合唱の練習があるから、スキーの記録会は免除されていた。
のに、わたしの代くらいから免除がなくなった!

大体、スキー場のそばに住んでいる子でなければスキー場で滑りまくる事はないです。
普通はクロスカントリー。今はなんていうのかな、ノルディック?とにかく、細いスキーを履いて走り回るあれです。
私の子供時代は、まだスキーも重かった。
それを担いで自分でワックスがけとか、雪にあわせてワックスを選んでアイロンで溶かして削って、みたいなのを、スキー部でもないのにいきなりやれって言われたって無理だ。ムリだけど全員参加なのだ。
(場合によってはスキーも買わされた。スキー靴も、ウエアも)

すっかり、わたしはウインタースポーツが嫌いになった。

重たい雪の中、びしょぬれになりながらバカにされるのだ。


でも。

全員がスキー選手になれるわけではない。

スキージャンプなども盛んな地域で、ジャンプ台が普通にあるレベルだった。
同級生だった男の子はスキージャンプで早稲田に進学したけど、その後ルール変更で板の長さが変わることで全然成績が出せなくなったという話をあとで聞いた。

親の世代でも、選手になるといっていたけど結局はコーチになったとか、そういう人ばっかりだ。

誰もがオリンピック選手になれるわけじゃない。
なれない人の方がずっと多い。

全員が一度は同じく雪の上に、氷の上に立たされても、そこで結果を出そうと頑張る道を選ぶ人は限られるし、それで選ばれたからって成績を出せるかというとそうでもない。

最後には、敗れて去っていく。


だから、スキー場産業が主な収入だった地域に生まれ育ちながら、わたしにはスキーをしにお金をかけて時間もかけて都会からやってくる人たちの気持ちが全然わからなかった。
あんなに浮かれて楽しそうにスキーをしに行く。
スキーとは、びしょぬれで寒くてバカにされるものだ。スキー場は誰かとぶつかってひどいけがをする場所だ。
たとえ優秀な成績を修めたらもっとひどいトレーニングを課せられて、それでも上にいけるとは限らない、がんばっても終わったらつぶしのきかない人間になってしまう。現役の時はどんなわがままも偉そうな態度も許され、特権を与えられて、周りとは違う特別な存在にされる。それを憎々しげに見ている私のような立場の人間もいる。


羽生結弦選手が「連覇の為に人生の楽しみをほとんど捨てた」という意味の事をインタビューで言っていたという。

でも、ほとんどの人は同じように人生のほとんどを捨ててもメダルを二回手にする事なんてできない。
あの言葉を聞いて、ツラかったんだね偉いね、みたいなことは、私は感じなかった。
彼はそれをしても得るものがちゃんとあったではないか。
何もかも捨てても何も得られない人間のほうが、圧倒的に多いのに。
かわいそうなのはそういう人の方だ。金メダルも、オリンピック出場権もない、名もなき選手の方だ。彼らだって人生の楽しみをほとんど捨てて努力していた人も多かった。


楽しくスキー場に4WDでやってくる県外ナンバーの車がよく道の端に落ちていた。
それを助けに行く父は、楽しそうだった。小バカにしながら親切に振る舞う。
スキー場で遭難した客について、祖母はいつも辛らつだ。「そんなところにいくからだ」
そりゃそうだけど、彼らのカネでみんな生活しているのに。

レジャーとして楽しいスキーやスノボはある。
それがファッションとして、カッコイイことも、あるだろう。

でも、雪と氷に閉ざされた世界はそれだけで過酷なのだ。
だから躍起になってスキー選手を育てようとするし、すべての子供がスキーがうまいみたいなことを言いはじめたりする。そこに沿えなかった子供は異端児となってしまうし、いい成績を出せる子もメダリストになれるわけではない。

アジアでの冬季オリンピックを見ていると、そういうあれこれを思い出して、本当に冬が嫌いだったことも思い出して、スキーが大っ嫌いだったことを大声で叫びたくなる。

メダリストは素晴らしい。
オリンピックに出場できた人たちも素晴らしい。
その下に、走りたくもないスキーを走らされてバカにされて怪我をしたり学校に行きたくなくなった子供たちが山ほどいた事を、どうか誰かに伝わってくれたらと思う。


雪のある生活が嫌だったので、東京に出てきた。
そしてたかが5センチの積雪でマヒする首都機能を見て、とても嬉しい気持ちに浸っている。それは雪のない地方である証明に他ならないからだ。


 #ウィンタースポーツ 

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