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現代を生き抜くための言霊抗体

言霊を、けっこう真に受けている人が多い。
いい大人でも、おまじないとか信じてませんという人も、「科学的に立証されている」とかなんやかんや言って真に受けている。

ここで困るのが、真に受けている、程度だということだと思う。

信じていて、それを行動に取り入れて、なるべくよい言葉を使おう(よい言葉の定義も様々だが)というのならまだいい。ただ、何となく真に受けているだけだと、言霊抗体がない状態で受容器だけはあるという非常によろしくない状態じゃないかと思っている。

伝染病の抗体のように、言霊抗体というのは、確固としてあると思う。

人のいう事に振り回されやすい人は、言霊抗体が非常に弱い。
一定の事についてだけやたらと否定的になったりするのはアレルギー反応に似ている。
権威のある人の言葉、大事に思っている人間関係にある人の言葉は真偽を確かめる事なくそのまま関門を通過してしまいがちという構造はあるのだけど、そうじゃないただふわっと空気中に漂っている言葉にさえ左右されていく人は、実はかなり多いと思う。

そういうのをまとめて、私は言霊抗体がない、または弱いと定義している。

言霊抗体の弱い人は、広告を鵜呑みにする。これを食べればみるみる痩せる!とか、すぐその気になる。
言霊の効果ばっちりすぎて、実際にその食品に何の効果がなくても効いちゃう。プラシーボ万歳。

悪い事も、猛烈に効く。白米を食べるとはげやすいと聞いたら、ピタッと白米を食べるのをやめて、ちょっとでも口にしようものならおびえて夜も眠れない、今まで食べてきた白米の影響を考えてストレスで夜も眠れない、みたいなことを、素直にやってしまう。そしてそのストレスでまた髪が抜ける。

言霊抗体がある人は、言葉はしょせん言葉でしかないとわかっているふしがある。だから、言葉を扱う職業の人に多い感じはある。が、言葉を扱う職に憧れる人は言霊抗体が弱い人の方が多い感じもある。
言葉の力に憧れるっていうのは、言霊の効果をバッチバチにうけちゃう感受性の強いタイプってことでもあるから。

言霊という考え方は、私もすごく好きだ。
とっても簡単に使えるし、自分に喝を入れるのにも慰めるのにも使えて、お金はかからない。おまけに、目先の人をコロッと動かすこともできる。

でも、その後ろにある言霊の効果の悪用も余裕でできるということや、その悪用されている言霊をしょっちゅう拾っては勝手に苦しんでいる抗体のない人たちも実はすごく多い、特にネットは言葉だらけだからすごい強い影響があるということにも、段々考えが及ぶようになっていった。
目先の人をコロッと動かせるというのは、そういうことだからだ。

webの仕事は、かなりの部分が言葉の仕事だ。
もちろんビジュアルの加工もすごく大事だけど、最後に刺すのは言葉だったりする。

SNSで自殺を促したり、家族や友達を刺すような指示を出すゲームの話を聞いたことはないですか?
あれは、本当にすごいなあと思った。現代にちゃんと効果のある形で呪いが発生している。一度は廃れたとされる呪符や魔法の一種が、きっちりと生き残っていたのだと見せつけてくるエピソードだ。
子供に怖い画像を見せて「友達を階段から突き落とさないとこの化け物がくる」とか言われたら、やっちゃっても不思議じゃない。怖い感情を引き起こす画+言葉、だ。これは強い。

これが、悪意を持った言霊の最も強いものだと思う。もはや言霊などとふわっとしたものではないのだけれど。

これよりも薄いものが、世の中にはたくさん漂っている。
他人が話していた会話も、聞こえたらそこに言霊が発生していて反応してしまう人は結構いる。「あいつキモイよね」「わかるわー、こっち来ないでほしい」という会話だけで自分が否定されたような気持ちになってキュウッと胸が苦しくなったりする。
「もうちょっと髪型とかちゃんとしてくれたらまだましなのに」「わかるわー、あと口が臭いのどうにかしてほしい。歯医者いけって感じ」と聞こえたら、ドキドキして口の匂いを確認したり前髪を直したりしちゃう。

Twitterのバズりなんか、言霊感染パンデミックって感じの現象じゃないだろうか。短い文章が、何らかの理由で共有される。

こういう、言霊に抗体のない状態は、あまりよくない。
感受性が強いといえば聞こえはいいが、それで悪いことばかり起きていたら感受性なんかない方がいいんじゃないかとさえ思う。
ここで、言霊抗体という考えが役に立つ。

言霊を真に受けすぎない、ということだけなのだが、「言霊が役に立てばいいな」という下心がある人はその欲ゆえにその考えをうまく使えない。
世の中には、いい言霊じゃなくて悪い言霊もめっぽう多いというのに。
(そしてよい言葉だと思っていたことが、最終的に最大の足かせになって破滅に向かうなんて事よくある。最後まであきらめないといって散っていったたくさんのなにかに、思い当る事はないだろうか。あきらめていたら道もあったのに。これはいい言葉であっても呪いになった言霊だ)

言霊抗体の作り方は比較的簡単だ。

まず、自分は言葉に影響されやすいかどうかを知ること。文章を読むのが好き、特に物語を読むのが好きな人のほか、技術ものやハウツーものが好きな人もかなり言葉に影響されやすい。(YouTubeだと影響されやすいのは言霊とはまたちょっと違う感じがあるけど、言葉を使っているから言霊も無関係ではない)
技術ものは実際に実行してナンボだと思っている人は、言霊抗体はかなりちゃんと働いているが、読んで満足する人は抗体が弱い。
逆に、物語の二次創作に走りがちな人は、言霊抗体は弱め。感受性が強く、そこから得る快感を重視しているので、抗体はない方がいいくらいに思っているかもしれない。

化粧品や、ダイエット食品に「騙されたい」と思うのも、言霊抗体が弱い人に多い。まあ、実際に本気で痩せようとするとダイエットサプリなどは大抵騙された!と叫ぶ羽目になるので、ここで抗体が作られることも多い。

つまり、聞いた言葉が実際には全く意味がない、効果がないという経験をちゃんと通って、その上で言葉の意味や価値、そして言霊的な力をちゃんと感じ取る感受性も活用している状態になっている事がとてもとても大切なのだと思う。

言葉のすべてを否定するのは、言霊抗体とは別の事だ。
感受性もちゃんと生かし、その上で余計な言霊の悪い影響は取り入れないということだ。
感受性によって得られる快感などは消さず、悪いものは取り入れない。免疫システムです。

これは、情報が正しい正しくない、フェイクニュースかそうでないか、という話とは別の事で、言葉に影響される事をもう少しちゃんとコントロールするという視点が大事だよ、ということです。

あと、言霊は悪い力のほうがかなり強いということ、また、いい言葉がいい結果を生むとは限らないよ、ということもいずれわかるでしょう。
メルヘンな道徳や、水にいい言葉をかけたらきれいな結晶になったとかいう話じゃないです。殴られて金を巻き上げられて、その加害者が「金、どうもありがとう」といって笑いながら去っていったら、そのありがとうって言われたの嬉しい?みたいな話です。
言葉そのものには、たいして意味はない。言霊は、良い言葉に宿るのではない。また「よい」言葉というのも、実際にはない。
だから、悪い状況をさもいいように言葉で言いくるめている「言霊」のほうがよほど危ない。そういう言霊に引っかからないようにする、というのが最大の目的です。

ちょっと話がずれるかもしれませんが。
言霊は、中小企業の社長が好むタイプのスピリチュアル業界によくある。元気の気を米っていう、氣って書くとか。トイレ素手で掃除とか。
こういうのは、全部こじつけとおっさんが好きなダジャレがベースになっているんですけど、特に田舎の中小企業の社長って人格障害が多いから、これがすごく立派な事として取り入れられたりするんですよね……。

他人にいいように搾取されないために、言霊抗体は必要です。
それは冷静な自分の判断力を持っているということにほかならない。

特にいい意味での言霊を信じようとしている人は、悪い言霊の事をちゃんとわかっておく事。
信じてはいないけど、なんとなく真に受けている人が一番危ない。
ここで言っている言霊は、言葉の与える印象、感情への働きであって、内容の真偽はまた別に考えるべきこと。
言霊から得られる快感を否定する必要はないということ。

そういう事を心と頭の片隅に入れておくのが、この「言葉」の形をした情報が氾濫している現代で生きていくために絶対に必要な事じゃないかと思っている。

抗体が弱いなら、搾取されやすい殺伐とした環境にいかないということでなんとかなると思う。いわゆるお嬢さんおぼっちゃん育ちの、楽しく生きている人たちです。そういう人もいる。わざわざ詐欺師のいる環境の悪い場所にいかなくて済むならそれでいいのです。

が、そうも言っていられない我々は、今日も強く生きていこうではないか。

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つよく生きていきたい。