世にあふれるお金の簡単なハウツーと私が目指したいと思う事

お金にも、あるいは恋愛運とかでもいいんだけど、そういうのに簡単なハウツーがあると思いこむのは、大変に心安らぐことであるのです。

お金はどうやっても自動的に入ってこない、何らかの運によって左右されていると考えている人がとても多い、という事の裏返しでもあるのですが。

お金観って、想像以上に浅いのです。

・いい仕事に就けばお金がたくさんもらえる
・才能があればお金がもらえる
・金持ちの機嫌でお金が動く
・寄付をするといい事がある

なんてふわっとしたことがたくさん言われていますけど、実際どうでしょうね?

・長財布が金運にいい
・満月にお財布を外気に当ててふると金運が上がる

なども比較的有名なあれ。

どれもあっているし、どれも意味はない。
ここがほんとお金のむずかしいところなんじゃないかと思う。

鰯の頭も信心からっていうのが常に働いてしまう(ある程度まで)のが、こういう事だったりして。

お金は大切なことだけど、あまり意味はないし、意味がない事をないがしろにすると人生をダメにするし、意味のない事を大事にし過ぎると人生をダメにするし、本当に実態がないのに影響力が大きくて困る。

ただひとつ言えるのは、「もらうがわ」というお金の立場しか考えていないと、なにも見えてこなくて簡単なハウツーにすがろうとしてしまうのだけれど、「はらうがわ」に立ってみると全然見えるものが違っているという事については、なかなか誰も教えてくれない。

もうひとつ、「売るがわ」というのも重要な立場になる。

売るというのは「もらう」と「はらう」のバランスを常に取り続けていかないといけない。そういう、一種のスポーツみたいにとらえている。

払い過ぎてもいけないし、もらい過ぎてもいけないが、もらわないとダメだし払わないとダメ。

そこに簡単なハウツーは見いだせない。
大事なコツはあるけれど、それはあんまり大きくない。

「豊かな自分をイメージして」という提言はたくさんあるけど、それだけじゃダメ。実際にフィールドに出てゲームをしなくては。ピッチに立たなくては。トラックに立って、あるいはプールに飛び込んで、コートに立って。場所はいくらでもある。
そして、「はらうがわ」と「もらうがわ」を両方をなるべくたくさん経験する。

いろんな払うを体験するのが大事で、払いすぎたり、ちょっとしか払わないのにたくさんの何かを得たり、長い目で見ると損をするとか得をするとか、実際得したってどういうことなのかとか、とにかくたくさん経験をしないといけない。
もらうがわも、たいしたことないのにたくさんもらったとか、もらう事で罪悪感があったとか、逆にこのくらいもらわないと腹の虫がおさまらないとか、いろんな体験があるはずです。

そこに、どうやっても簡単なハウツーは存在しない。

簡単なハウツーを信じようとするときは、もう「楽して儲けたい」という気持ちばかりが先走っている時だ、と自覚できるようになってくると、話がまた変わってくる。
それにはやはり、たくさんの経験をすることが大事でもあり、経験から学ぶことも大事だったりする。

世に言われる成功の形が、あまりに多様になってしまったので、お金についても価値観はあまりに多様になってしまって、混乱が続いている。
もちろん大金持ちはいい事だろうけれど、寄ってたかってむしり取られていく(税金とかで!)のは幸せなことかというとそうでもないし、使いきれないお金を持ったことで恨まれるとかも割に合わない。
かといって金のない苦しさはまたとてつもないものであるし、ないからといって精神を病むなんて事は全然ないという事実もあったりして、「こんな貧困ならもっと苦しいはずでは!?」と訳の分からない悩みが生まれたりもして、なんだかなと思う事もある。

本当は、お金を単体で考える事が、そもそもの誤りなんだということに気付くまでに、ずいぶんの時間が必要だった。

簡単なハウツーを信じて、それさえやれば金運という曖昧なものが上がるんだと思っていた。
金運が上がればいくらでもお金が入ってくると言われていたけれど、いくらでもお金が入ってくる状況はどんなものか想像さえできなかった。

それが商売=売る立場をやることで、いくらでも入ってくる状況というのは現実的に考えてありうるという事を知ったし、そんなに難しい事でもないとわかった。

そうやって、お金になにか簡単なハウツーがあると信じるしかなかった未熟な自分から少しだけ成長できた。

「はらうがわ」としても一流、「もらうがわ」としても一流であること。

次はそこを目指していきたいと思う。

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