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「特定多数」のはなし

「ゆっくり、いそげ」 影山知明・著

相変わらず、この本に書いてあったことを、こまごまと考えている。

いくつも「そうかー」と目鱗な事や、なるほどなーと話がまとまった内容が書かれているのだけれど、今のテーマは「特定多数」について。

これは金融商品を扱う法律の中に「49人までを特定少数と呼ぶ」という決まりがあるらしい。50人からは多数となる、という。

特定少数を相手にした商売は、単なる身内の文化祭のお店ごっこに近い。かといって不特定多数を相手にする商売は、資本金などがかなり大きく必要になる。

そうではなく、ひとつの事業を成り立たせるくらいの人数のお客がいるけれど、けして顔が見えないような不特定な存在ではない、特定多数という存在。

それが気持ちよくお店やビジネスを運営していくために考えてく必要がある課題じゃないかなという話。

これは、なるほどとひざを打ちました。打ちぬきました。

本の中では「いまは5000人ほどの特定多数の存在があって、3000人ほどをこえたあたりから収支も安定してきた」というような記述があり、意外にも少ないような感じがした。
これなら、できるんじゃないか、と。
(ただし、冷静に考えると一軒のカフェが3000人も熱心なファンを持っているという事は、甚だ大したことなんだと言わざるを得ない。簡単な事じゃない)

わたしのビジネスでは、どのくらいの「特定多数」が必要だろうか。
と、考える。

おそらく、5000人くらいは必要な数字だろう。
最初に設定した目標を考えると、最低限「特定多数」枠の数字はそのくらい。
認知度という意味では、その10倍くらいは必要で、5万人くらいの人が知っているものを作ればいい。

んーーー、できなくもない数字じゃないだろうか。

今は、特定多数にあたる人は1000人いるかどうか。
SNSの発達により、お客としてお金を払うところまでたどり着いてないけれど特定多数にリーチしている人もいるし、実際に購入したお客さんであっても通りすがりの人である場合もある。

もっと増やさなきゃ、と思う半面、この「特定多数」という考え方には、際限なく増やさないといけないという考え方がない。一定数満たしていれば十分だというところが、最もいい考えだと思う。

必要な人に届けばいい。

いらない人に無理に押し付ける必要もないし、断られても傷つく必要はない。
とわかっていても、やっぱり怖い。
ここで取っておかないと足りないんじゃないか、数はないよりあったほうがいいんじゃないかという考えが何度も何度もよみがえる。

でも、「うちの特定多数はこれだけだから、これだけちゃんと届けばいい」と腹をくくれたら、こんなに楽なことはない。

特定多数の枠をイメージすると、まあいわゆるファンのコミュニティ化とか言われたりするやつなんだろうけれど、それってお金を目的として作られるコミュニティなので、なんとなくやりにくいなあと感じていた。
そうじゃなくて、この商品・このサービスにまつわる特定多数、それは別にお客さんというだけじゃなくて、一定の関わりのある人、従業員とかその家族とかまでを含めてもいいのだろうし、入会退会の線引きもなくともにあり続ける事もできるだろうし、今まで考え付かなかったお金の作り方とその活かし方も思いつくような気がする。

お客を囲い込むとか、忠誠心を高めさせるとか、そういうの、嫌なんですよ。

端的に言うと、面倒くさいんだけど、人をコントロールしてやろうっていうのは、本当にとんでもないエネルギーが必要になる。
コントロールされたいと望む人も多いんだけど、彼らはとってもうるさい注文ばかりしてくる。それを全部聞いて、その上を行くような素晴らしい対応をしやがれこの野郎、みたいな圧力も、正直暴力だと思うし。

そういうんじゃなくて、もっとナチュラルに、それでいてちゃんとビジネスが回っていくように、しっかり作っていく。

その一つの指針として、特定多数という考え方は非常に役立つコンパスになってくれている気がする。

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