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あたりまえって幻想かもしれない

こんにちは。
西村侑花です。

今日もお読みくださってありがとうございます。


いつもの
あたりまえのことって

いつもの
あたりまえのことを

遂行してくれるひとや
モノが在るから

成り立つのですよね。



このところ

わたしも「あたりまえ」が
あたりまえで無くなる体験を多くしています。




コロナの影響もあって行っていなかった行事

3年ぶりに皆で集まりましょうと

楽しみにしていたお茶事の初釜



3日前に先生が倒れて入院されて中止になりました。

今までの愉しい茶事は、
先生がお元気で
準備をしてくださったからこそ行われていたこと。


そんな「あたりまえ」だったことを認識することでした。


また、
実家ご近所のいつも挨拶をしていたおばちゃんが高齢になり
転んで入院したあと、
施設に入って

しばらくすると亡くなったというお知らせが届いて、、、
そんな話があの人もこの人も…

わたしの知っている町内と、確実に変わってきています。


あたりまえに思う日常って
本当にあたり前ではない。


そう思うと

いまこの時、
やっておけばよかったと
後悔することのないようにしたい。


もちろんどうしていても
後悔はあるものだけれど

でもだからこそ、
感謝の思いをもって
大切な人やことと
ちゃんと向き合っていたいですね。



どうぞ、健やかな一日になりますように!



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