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娼家マダムと飲むということ #遊廓を介した出会い

遊廓跡を歩いて何が楽しいのか?──

関心のない人にはそう映るに違いなく、私は不謹慎と指摘された経験さえあります。私はいくつかある目的の一つが、娼街・娼街で飲むことでした。「でした」というのは、今はもうできないからです。私が遊廓に興味を持ち始めた2010年前後は、戦前の遊廓や私娼街、戦後の赤線青線などを出自に持つ現行の娼街がわずかに残されており、ちょうど消滅する境目に当たっていました。旭川、函館、小山、金沢、徳島、松山、防府、宮崎、鹿児島。ざっと思い返してみるだけでも完全に消滅したか、消滅間際に追い込まれている現状があり、今あらためて娼家で飲もうとしても、できません。

現行の娼街で飲むなんて営業妨害だし、向こうからすれば迷惑なだけ、という指摘があれば抗弁はありません。が、私は第三者の一般論より、当事者の生の声が聞きたくて、そうしていました。現場では、娼家を経営するマダムの判断がすべてであり、店に受け容れられるも、退店を命じられるも、マダム次第です。営業云々に言及するならば、体面上はたいてい飲食店なので、1本1,000円の割高な中瓶が用意されています。

肝心のマダムとの会話は〝普通〟でした。函館の娼家では、自分が東北の某県出身で、弟がまだ地元がいるのだと言うことをテレビに映る『新日本紀行 SL特集』をぼんやり眺めながら、マダムが教えてくれました。金沢では、週末に中学生の孫と出かけて買い物するのが何よりの楽しみだと語るマダムに出会い、自分で漬けた梅酒と取り出した梅をごちそうになりました。他にも多くありますが、〝普通〟は時とともに忘れてしまいました。

とかくメディアに登場する娼家の経営者というと、幼少期から家庭環境に恵まれず、波瀾万丈な半生を歩んで、半死半生になりながら今の職業に〝墜ちた〟あるいは〝這い上った〟という物語として、私たちは接しています。無論、そうした半生を歩んだ人々が少なくないことは否定のしようもありませんが、こうした物語に接する私たちが求めているのは真実性ではなく、刺激の多寡です。

私が実際に足を運んで交わした会話は上記のような、無刺激で、どこにでも転がっている〝普通〟でした。確かに見ず知らずの訪問者である私に、胸襟を全開にすることなどあり得ず、そのことを差し引かなければなりません。ただし、少なくとも「劇場型人生」ではなかったことは確かです。

こうした会話を交わすとき、まったく異世界の住人と思い込んでいた人物と自分が地続きになる感覚を覚え、得も言われぬ充足感を覚えました。感動とは、自分の心を揺さぶるのは何であるか? 何に対して心が揺さぶられる人間なのか? と自分を知る瞬間を指すのだと私なりに理解していますが、遊廓跡を歩くことが、その少ない機会の一つでした。

同時に自分の偏見にも気づきました。娼家で飲む前の私は、娼家を営むような人物は、まともな幸せなど持ち得ないのだという勝手な思い込みを投影させていたことを自覚しました。今思えば、思い込みより、願望に近いものです。「幸せ」をシーソーのようなものとして捉えて、向こうに幸せがなければ、こちらに幸せがあると錯覚する願望。

「異世界」「異界」「激ヤバ地帯」と評されて紹介される街と住人は閲覧者より低い位置に置かれます。相手を低く見ることで、持ち上がったシーソーの反対側にいる自分のありように安心を得ようとする。今日の冷笑主義の台頭との重なりに、考えさせられるものがあります。

※ヘッダー画像・函館の娼家にて(撮影・渡辺豪、無断転載禁止)

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