紅子さんのクラウドファンディングを企画担当しました。紅子さんと他の撮影者の違いについて。
11月1日からスタートした色街写真家・紅子さんのクラウドファンディングの企画・設計および本文執筆を担当しました。続けて当クラファンの成果物である写真集の編集も担当します。
2023年に紅子さんの個展をカストリ書房で開催して以来、写真集と関連するプロジェクトを企画したいと願ってきたので、念願叶った喜びと同時に、紅子さんご本人が「カストリ書房より出版するのが夢」と期待の高さを語ってくれたり、プロジェクト開始後さっそく沢山の人が支援してくださる反響の高さを拝見するにつれ、今さらながら改めて責任の重さを痛感しているところです。
支援してくださった皆様、短い期間にも応援文を寄せてくださった関係者様、そして私に機会を与えてくださった紅子さんにお礼申し上げます。
紅子さんと他の撮り手の違いは?
従来少なくない撮り手が遊廓を被写体に据えてきました。彼らと紅子さんの違いは何か? その一つは多くの人が当事者性であると指摘します。以前、吉原で働いていた経験と立場を指したもので、遊廓を撮る行為に一定以上の蓋然性を与えるものです。一方で遊廓史の継承という観点から「当事者」なるものは何だろうかと考える私は、もっと広く捉えています。元遊廓経営者、元遊女といった立場を当事者と呼ぶに異存はありませんが、遊廓史の継承という観点においては、遊廓という制度は消滅しても、現代にも戦前と変わらない格差に基づく暴力性、差別偏見が底流している限り、私たち全員が「当事者」なのだろうと考えています。
紅子さんに話を差し戻すと、紅子さんと従来の活動者の多くとの違いは、遊廓に興味が低い人たちにも関心を喚起した点です。YouTubeという新興のサービスでチャンネル登録者数4万人に迫る勢いをみせています。
人にはそれぞれ役割や得手不得手がありますが、0→1にできる人は多くはなく、才能や経験と同じかそれ以上に「志」がなければ成し得ないものだと常々思います。本クラファンの好調ぶりは、紅子さんの志の高さをそのまま反映したものだと感服します。
0を1にする仕事
0すなわち世の中にないものを産み出すには、なぜそれが必要なのか説明を求められ、同時に多くの困難に遭遇します。(反対に1以上は必要性が既にその存在によって実証されています)。分かりやすい例を挙げれば、「せっかく時代が下って皆が忘れているのに、蒸し返すようなことをするな」という批判があります。
私は遊廓専門書店を営んでいるせいか、実のところ、私のもとには、紅子さんへ向けた叱咤以上の批判の声が耳に入ることがあります。その妥当性はいったん棚上げするにしても、ある意味において当然のことで、トップを走る人は常に「独り」だからです。ただし、紅子さんは字義通りの「独り」でないことは、開始から24時間を経ずして目標額を達成する偉業をなしたことや、4万人に迫る勢いをみせているチャンネル登録者数が雄弁に証明しています。
孤独ではなく孤高──
私はそう理解してます。今後も紅子さんには注目と比例して批判も集まるのかも知れません。もちろん正当な批判もあることでしょう。間違いを犯さない人はいないが、間違いから学べる人と学べない人はいる、私はそう思います。
本プロジェクトは2025年1月31日まで開催されます。引き続きご支援のほどよろしくお願いします。