見出し画像

「怒られる努力」について考える。

売春防止法の施行から65年が経過し、かつて遊廓あるいは赤線などと呼ばれた娼家の多くは取り壊され、現存するものは年々少なくなっている印象です。が、SNSで検索すれば、わずかに現存する娼家(撮影時は現存していた娼家)の写真を見ることができ、凝った設えや、どこか退廃的な色気を感じる造作に息を飲むこともしばしばです。一方で、鑑賞に耽るばかりにもいかない問題があります。

ネットに掲載されている写真のほとんどは、遊廓の歴史・文化を探求する人物によって撮影され、SNSに掲載されている写真です。言い換えれば、他人の家を第三者が掲載している状態であり、それらのほとんどは、家主の許諾などは特段得ることなく、掲載に至っていると推察します。本稿では「他人の家をネットに勝手に載せていいのか?」について考えてみたいと思います。私が扱う分野である遊廓を軸に話を進めますが、古民家や近代建築、廃墟、レトロ系店舗(スナック、喫茶店、食堂、ラブホなど)などにも通底するテーマかと思います。

外観には権利がない?

こうした趣味あるいは収益目的のサイトを運営している複数の人物から、次のような言い分を聞いたことがあります。それぞれの細かな言い回しは違えど以下に集約されるものです。

建物の外部に露出している部分にはプライバシーの権利が及ばない。またそれを公道上から撮影する分には何ら問題はない。

これは、情報発信者にそれなりに説得力をもって流通している言い分というか、後ろ盾となっている印象があります。

確かに、露わとなっている外観は、Googleストリートビューが地球上の津々浦々を撮影した今日、全世界に向けて発信している状態にあり、いまさらプライバシー云々ではないことはその通りですが、問題の本質はそこにはない、と私は考えます。それは次のようなことです。

家主が知られたくないのは、外観ではなく、家屋が娼家として使われていた事実や、家主の家族がかつて売買春経営にかかわっていた事実ではないでしょうか? したがって外観に対するプライバシーではなく、知られたくない過去と家屋の写真を紐付けてネット上に晒される事への危惧であり、先の言い分では正当性の主張として十分ではないことは明らかです。

売買春とは関わりのない古民家や近代建築、レトロ系店舗も、家主の望まない被写体が映り込んだり、ネットへの掲載そのものを望まない家主から怒りを買う可能性はさほど変わりません。既に店じまいしている、あるいは商売そのものとは関係のない家屋であれば、家主にとってネットへの掲載によるメリットは何一つありません。それでもなお「違法ではない行為なのだから」と開き直ってしまえばそれまでですが、誰の苦労の積み重ねによって残されてきたのか?を考えるとき、その手の主張は幼稚に映り、同好の趣味者全体のマイナスイメージに繋がることは容易に想像できますし、その想像ができない人の周りは不幸になります。

誰の許可を取ればいいのか?

こうした背景もあってか、「※家の人に許可を貰いました」という注釈が添えられて、ネットに掲載されていることもあります。掲載者がやみくもに暴き立てたいのではなく、関係者に相談しながら掲載に至った経緯の一端を伝えるものとして、その苦労には頭が下がる思いですが、許可を貰うべきは誰か?という問題は残り続けます。

「家の人」とは、おそらくその家の世帯主に相当する男性、つまりご主人の許可を指す事例が多いと推察します。しかし、家屋を財産として考えたとき、権利者はご主人だけではなく、財産分与される権利を持つ配偶者つまり妻や、その子供たち、場合によっては親類縁者にも権利者の範囲が及ぶ可能性があります。この点、権利者全員から許諾を取ることは現実的に不可能と断言できようかと思います。

財産まで考えるのは飛躍しすぎで、現実問題として世帯主であるご主人の許可で充分では?と指摘があるかもしれません。が、私は実際に子にあたる人から抗議を頂戴したことがあります。具体的には、世帯主に相当するご主人には許可を得たものの、そのご息女から、「お父さんが勝手に許しただけのことで、私は掲載を許可しないから削除せよ」との連絡でした。

ご主人は遊廓史の一端を公開していくことに肯定的な考えを持っていても、その家族(権利者)全員が同じ考えを共有しているとは限りません。結論的には「家の人の許可を貰いました」は、権利関係の上でも、現実的なやりとりの上でも、不完全であると言わざるを得ません。

最大限の努力を払ってもリスクを完全に排除できないのであれば?

どうすれば良いのか。反対に、どう責任を取るのか?責任を取りやすい環境をどう用意するか?に結論が導き出されるものだと思います。

これまで話を進めてきましたが、これを書いている私自身は潔白だなどと主張する意図は毛頭ありません。もし反省を求められるとすれば、先頭に立つべき人間です。

私は2012年にTwitterを始めました。できるだけ娼家の住人つまり持ち主とコミュニケーションを取ろうと努めてきましたが、当然、留守であったり、廃墟であったり、あるいは時間がないなどを言い訳にコンタクトすることなく撮影に至った写真もあります。こうした写真も区別することなくTwitterなどのSNSを始めた時分は盛んにアップロードしていました。が、ある時期から消極的になりました。「炎上」騒ぎが取り沙汰されて久しい昨今ですが、怒りや悲しみがエンタメとして消費されるようになり、予想しない角度からの炎上を招くリスクを考えたとき、発表(露出)の場をよほど検討した上ではないと、撮影の苦労が報われないばかりか、同好の士全体の地位が低下してしまいます。

ところで、ネット空間に目を移すと、サービスが立ち上がったばかりの黎明期特有の、どこか無軌道な無法地帯のようなムードが人を惹き付ける傾向があります。紙に載せることは憚られても、Twitterなら何となく許されてきたもの、Instagramなら何となく許されてきたものがあります。権利者やサービス提供者、法が許していないものでも、社会通念上なんとなく看過しているものがあります。「それはお前がそう思い込んでいるだけのことで、違法は違法なのだ」とのご指摘もあろうかと思いますが、私が指摘したいのは法的な適合性ではなく、社会に浸透するスピードが速すぎて、倫理や道徳の形成が間に合わないような新興のITサービスの場合、社会は許容の幅を広くし、ユーザーもまたそうしたムードを好む傾向があるということです。

ある不法行為に義憤を覚える一方で、権利者が許諾を与えていない懐かしいCMや歌謡曲がアップロードされたYouTubeは喜んでリツイートして、違法行為に加担する、これに似たり寄ったりのキズは誰のスネにもあろうかと思います。しかしこうした「ユルい」ムードはあるときを境に一変して、強烈な制裁を受けることがあります。この潮目を読み切るギャンブルをしたくはありませんし、これまで取材に協力してくれた取材対象者たちの想いを考えるとき、ギャンブルの盤面に載せることは誠実さを欠いた行為に映りました。

匿名から実名に変えた

私も、ネット空間の無軌道ぶりを甘受した一人であり、抗弁はありません。が、私はSNSのアカウント名を匿名から実名に切り替えたタイミングがあります。明確な時期は失念しましたが、商業出版で、自身の著作物を発行する機会を得たときだったと記憶します。万一、私の言動に非を覚える人物が現れたとき、匿名では特定しづらく(技術的には特定が可能ですが。)、容易に特定できるようにするためです。そのときは匿名(ハンドルネーム)と実名を併記しました。

併記をやめて実名だけにしたのは、もう少し後の、遊廓史に関して私なりに主張したい想いや考えが定まってきたタイミングでした。それまでは主に娼家の撮影記録を続けてきて、主張が0ではないにせよ、せいぜい「提示」に留まっていました。遊廓史というものをどのように伝えていくべきなのか?について考え、浅慮なりに述べるようになってから、実名への思いが強くなりました。

誤解無いよう言い添えると、匿名性をやみくもに非難する意図はありません。ネットが一般に普及して四半世紀、ネットでは多くの人が発言権を持ち、匿名だからこそ育った文化もあり、前述の通り、私も恩恵を受けてきました。匿名で書かれた先輩ブログも沢山参考にさせて貰いました。

話を本稿のテーマに戻すと、「他人の家を勝手にネットに載せて良いのか?」問題は、解決できる根本的な方法がない以上、「怒られないような努力」と同じくらい「怒られるための努力」も大切です。さらに言うと、怒られる(非難に晒される)可能性を考慮してもなお世間に伝えたいものがあるとき、実名が必要なのだと感じる次第です。

※とある角打ちで見掛けた日本酒のポスター。他意はありません。
※以下は有料ラインですが、以上がすべてなので、その下には何も書いていません。記事を有料化するためのものです。

ここから先は

19字

¥ 500

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?