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自分の魂に抵抗しなくなった途端、ラクに生きれるようになった話し。| 現実とスピリチュアリティの間で 𓂃 𓈒𓏸

タイトルの通り、30年間ずっと自分の魂に抵抗し続けていたといっても、過言じゃないと思った。

わたしはたぶん、人よりもかなり自由であまり縛られていない世界を生きている気がするのだけど、そもそも目指してるのが「究極の自由」だからこそ、そういう意味ではさらにそっち側に近づいたような気がする。

自分の魂が「こっちだよ」って呼んでくれてる声を知りながら、わたしもそっちの方向に行くのは行くんだけど、ボートに乗って、しっかり自分の両手でオールを持ち、一生懸命に漕いできたのがこれまで。

自分の魂に抵抗しなくなったということは、オールを漕ぐのをやめ、ただ流れに身を任せることを選んだということ。川の流れ、波の揺れ、風を感じて、温度を感じて、太陽を浴びて。

そんな風に生きることを選ぶのに、ものすごく時間がかかってしまって。なんでだろう、そもそもなぜ抵抗していたのか、理由を考えてみるんだけど、あまりピンとした答えが見つからない。

結局、同じ方向に行きたいはずなのに、なんでそこまで自分で漕ぐことにこだわっていたのか、なんていうか、単純にがんばりたかったのかもしれない。じゃあこれからがんばらないのかと言われると、そういう訳ではないんだけど、でもある意味もうがんばらないんだと思う。笑

それが魂の声を聞くことであり、流れに身を任せるということというか。もう自分の人生に対して抵抗しないみたいな、そんな感じ。

こういうのを、「導かれてる」なんて表現するのかな。




自分がスピリチュアル的に生きることを受け入れるのは、2日前までとても怖かったのだけど、受け入れてみたら、案外怖くなかった。笑 案外というか、今になれば全くもって怖くなかった。笑

もちろん、わたしが現実世界でやることは何も変わらないし、外からみた感じも全く何一つ変わらないのだけど、ただ、わたしの内側の「生き方」は既にまるで180度くらい違う。笑

そしてとても伝えたいことは、人はみんな、そもそも最初からスピリチュアル的に生きている生き物だということ。

でも幼少期のトラウマやインナーチャイルド、資本主義社会の枠組みがあまりに強すぎて、気付かないうちに何層ものフィルターにまとわれ、そのまま「資本主義社会の幸せ」をまるでほんとうの豊かさのように生きていく。

そこから脱するには、いくつもの苦しさを超えた気づきや学びが必要で、それは本質的な幸せや豊かさの溢れた世界に繋がるのだけど、=生まれた時と同じスピリチュアルな世界だと捉えているのが、わたしの定義。

でも、そこで取り扱うものは目に見えないものばかりだから、大人は信じようとしない。子供の頃の自分にまた戻るだけなのに、その価値を理解したくないのは、それまで生きてきた自分を否定したくなくて、正当化したいからかも。

わたしも、最後に感じてたのは「大人の自分を正当化したかった」のかもしれない。

また子供のように、流れに身を任せるところに戻ってこれたので、気が済むまで「ここ」を楽しみたいと思う。自分の魂に抵抗しないことで、どんな面白い出来事が起こるんだろうと、実験。

どうか、沢山のワクワクに出逢えますように。

そんなことを思いながら、眠りにつくキックオフ前日。

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