連載小説 「カエルさん」#1

1.大学2年、夏

何かがある訳ではない、事足りない訳でもない。南栄原はそんな街だ。この街のオススメの場所を挙げるのならば、僕は「カエル通り」と呼ばれる風俗街を挙げる。数十年前、バブルと同時に最盛期を迎えたカエル通りは今やほとんどの店がシャッターを降ろしている。最近はアジア圏からの移住者がポツポツと飲食店や移住者向けの商店を構えている。だから、この通りに行く人なんて今は殆どいない。ただ、年始だけは人の列が出来る。まぁ察しのつく通り実際この風俗街に用がある訳では無いのがオチ。この通りの1番奥にある栄原神社という神社が目的地。この辺の人はカエルさんとかカエル様って呼んでいる。この通りの名前の由来になっているからと言って、特別変な神社ではない。世間は夏休みシーズンの今。今年から栄原神社でも祭りが行われることになった。以前は祭りをしていたそうだが、通りの衰退と一緒に規模を小さくし、気づいた時には祭り自体行われなくなっていた。そんなこんなで久方ぶりの祭りなのだ。想定していたよりも多くの人で賑わっている。8月30日。僕はカエル通りで過ごしたこの日を忘れない。


夏の肌にまとわりつくような湿度がセミの声と相まって、僕の苛立ちを加速させる。「だから、なんでいちいち対応に文句言われなきゃいけないんですか。」「文句とはなんだ。お前へのクレーム、これで何回目だと思ってる。」岡は机にペンを繰り返し突きつける。イライラしている証拠だ。こちらも同じくイライラしているからだろうか。僕の表情がさっきよりも不貞腐れてきた。「何か言いたいことでもあるのか。また今回も相手が悪いとか言うんじゃないよな。」何ヶ月もしてきたこのやり取りに僕は遂に耐えきれなくなった。「じゃあ岡さんはイライラしないんですか?いいです、僕バイト辞めます。」「おい、悠!そんなことで辞めていいのか?俺はお前の為を思って言ってるんだぞを。」気安く下の名前で呼んでくるのも腹が立つ。ほんの少しの沈黙の後「岡さん、おはようございます。」と声が聞こえた。自動ドアが開いて入店音が流れるよりも早く僕はその人の気配に気づいていた。もちろん岡よりも早く。だから、その声が聞こえた瞬間僕は「あ、吉野さん。おはようございます。」と挨拶をした。すると吉野は「三根谷くんおはよー。また岡さんと喧嘩?私は喧嘩嫌いだなぁ。」いつもの甘ったるい口調で僕を諭す。僕もいつものようにデレながら返そうとしたが、さっき口走ったことを思い出す。「僕、バイトやめるんで。」「悠、いいかげん分かってくれ。その態度が結局お前自身を傷つけてるんだぞ。」「まぁまぁ二人とも。」吉野さんの声が聞けなくなるのは寂しいが言ってしまった手前、後には引けない。僕は制服を脱いで店を出た。
南栄原駅すぐそばのコンビニ。店長の岡一郎はthe体育会系といった感じの性格で、隅から隅まで僕と相性が悪い。もし僕が奨学金を貰っている大学生で無ければ、間違いなく1日で辞めてる。吉野咲菜恵は2つ上の同じ大学に通う先輩。そこそこ美人で、大学でも評判の良い女性だ。
ま、辞めてしまえば二人とも僕とは関係が無くなる。気に止める必要すらないのだ。
開き直ってみるが、やはりイライラは抑えきれなかった。

気づけば自分は廃れたカエルさんにいた。
僕は階段を登って、そこから街を見渡した。
本当に狭い街だ。
世界はこれしかないのだと。
僕のイライラはこの街の大きさに丁度いい小さなことだったと思い知らされる。

「あの、すいません。」
後ろから吉野さんの声がする。
「僕がよくここに居るって分かりましたね。」
「吉野さん…?私は河津と申します。」
振り返ると吉野さんに瓜二つな女性が、巫女さんの格好をして立っていた。
「河津ってことは、カエルオヤジの娘さん?」
「はい、そうです。」

カエルオヤジってのはこの神社の宮司だった人。去年の8月30日に亡くなった。
ガキの頃ここで遊ぶとよくカエルオヤジにキレられてた。

苗字が河津だったからまさかと思ったけど、そのまさかだった。

「変なことをお聞きしますが、私の外見はどのように見えますか?」
「えっ…そのなんて言うか巫女さんだなぁって。」
「いや、そうではなく……あ、お顔が知ってる人に似てたりしませんか?」
「あ、はい!似てます!瓜二つです!」
「そうですか。ということは、貴方が次のカエルなんですね。」
「……は?」
「説明するよりも見た方が早いです。着いてきてください。」

僕は吉野さんにそっくりな女性の後を追うように、さっき来た階段を降りていった。

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