1日1食生活

3日間の断食を経て1日1食生活を新たにはじめた。


胃に食べ物が残っているのに時間が来て食べたり付き合いで食べたり。

「飽食状態で自分の感覚がずいぶんと鈍っている。」

断食きっかけでそのことに気づかされた。


動物だって餌が十分に取れたら野性味を失う。

すなわち外界へのセンサーである感覚が鈍る。

人間だって同じこと。


日常生活のなかで感覚を鋭敏にしたい。

そう思いこの1日1食生活をはじめた。


この生活には喜びがある。

なにしろごはんが美味しい。

なにげない野菜のスープが美味しい。

肉を食べなくても食事の後の満足感がある。

いままで薄れていた感覚。

気付けば、美味しいといいながら食事を食べて美味しかったと思いながら食後を過ごす。

それこそ食材に対しての本当の感謝かもしれないと思う。



たとえば、昨日の献立はこんな感じだった。

丁寧に出汁をとった野菜のスープ。

出し殻の鯵の素揚げ。

そして白飯。

質素だけど本当に美味しい食事だった。


そしてこの生活は肉を食べるということに関しても気づきをくれる。

いままでは頭のどこかに肉を取らなければいけない。

そんな思い込みがあった。

だから食卓に肉は欠かせなかった。

けれどもこの生活をはじめてそうではなかったのだと思い出す。


もう10年も前。

インド亜大陸を放浪していたとき半年近く肉を食べなかった。

たまに食べる卵がとんでもなく美味しかった。

ヴィパッサナー瞑想をお寺でしたときもそうだった。

期間は1週間。

肉はなく食事は1日1回。

けれどもその食事がどんなに心の支えになったか。



だからこの生活で感じていることはかつてのぼくが感じていたこと。

忘れていた感覚。

あの時との違い。


それは自分が主体になってこの生活を創り出しているということ。

あのときは環境がそうさせていた。

肉を食べなくてもいい環境。

時間ではなく感覚で食事を取る環境。

だから旅を終え日常に戻ったとたん元に戻った。

肉を食べ飽食する。


もちろん、10年前もその環境に行ったのは自分の意志だ。

けれど今回はその環境に自分を持っていくのではなく自身でそれを創りだすこと。

回り道したけれどやっとそれが出来るようになったかもしれない。

そう思うとしみじみと嬉しくなる。



今日の夕食に何を食べるか??

午前中だけど今からそれが楽しみ。

いままでの何倍も食べるという行為が喜びに繋がっている気がする。

そしてそれは生きる喜びに直結していると実感する。

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