見出し画像

AI画像は"作品"か?

結論から言うと、僕は「AI作品は作品である」と思っている。
AI画像は……どうだろう、言葉遊びになってしまうけれど、こちらは作品ではない気がする。
作った人が「これは作品です」と宣言して世に出した時点で、画像は初めて"作品"になるのだ。……と思う。

この記事ではAI"以外"によって作られた"作品"から、「作品とは何か」を考えたい。


マルセル・デュシャンの【泉】

この作品をご存知だろうか。
現代アートの原点とも言われる、伝説的な作品である。

どういうものかというと、男性用の小便器(おそらく量産品)を横倒しにして、サインをしただけ。
デュシャンはこれをニューヨークの展示会に持ち込んだが、芸術家協会は出展を認めなかった。

そりゃそうだ、という気はする。
横倒しにしただけの便器に芸術性を見出すことは、少なくとも僕には無理だ。

それでも【泉】が現代アートの世界で作品として認められているのは、見る者がそこに作者の思想を見出すからであろう。

たとえば崇高で美しいものだけを芸術とする思想への皮肉、問題提起をするためだとしたら。
小便器という"物"自体ではなく、それを芸術展示会に出品するという行為に意義がある、ということになる。

デュシャンの意思や、芸術史上の意義など僕は知る由もないのだが、そういう捉え方をするなら【泉】は紛れもなく作者の思想を反映した"作品"であると言える。


写真

写真は"作品"と言えるだろうか。
この問いに対しては、多くの人が「写真は作品だ」と答えるであろう。

だけどよく考えて欲しい。
カメラは単なる機械である。
そして例えば、美しい風景を撮影したとして、その風景に「心」などというものは宿っていない。

僕が大好きな夕焼けは、ただの自然現象であり、化学反応の産物だ。
地球の自転の関係で観測地点と太陽の間の大気層が分厚くなり、青色の光が散乱して、赤色の光だけが届く。
「夕陽が海に沈んでいく風景」なんか、心が篭もってない度2000%である。

別の例を出せば、カメラマン・ロバート・キャパの戦場の写真は素晴らしい。
そこに写る人々は、当然だけど被写体であることを意識していない。
より良い写真にしようだなんて思っていない。
戦闘の真っただ中で、そんなことを気にしている余裕はないだろう。

もちろん撮影地を選んで、写る人間に指示を出して、という風に製作される写真作品もあるけれど、そういうものだけが"作品"かというとそうではないのだ。

それでも写真が"作品"として認められるのは、撮影者がシャッターを押す瞬間に思想が宿るから。
「この風景を切り取って残しておきたい」、その意識と感性こそが、写真を"作品"たらしめる要素なのだと思う。


AI作品は"作品"か?

さて、ここで話題は記事タイトルに回帰する。

AIによって生成される画像、それ自体を"作品"と呼ぶことは、確かに難しいように思われる。

だが、AIに「製作者のイメージ通りの画像」を生成させるのは、案外難しい。

たとえばこの画像、僕はとても気に入っている。
そして「花に埋もれて眠っている女の子」とだけAIにお願いすれば、即座にこういう画像が作れる──というわけではない。

AIに渡すプロンプト(画像を構成するためのキーワード集のようなもの。通称【呪文】)は、人間が使う言葉とは微妙に違うので、まずここで翻訳作業が発生する。

また、AIは人間の文脈を解さない。
「眠っている女の子」とだけ指定しても、AIは「人間は眠るときは横たわるもの」という大前提を知らないので、立ったまま寝顔になっているだけの画像を平気で出してくる。

「横たわる……寝転がる……寝そべる……他にどういう表現があるだろう……」と頭を抱えながら、プロンプトを書いては画像を生成させ、徐々に頭の中のイメージに近付けていく。

それで満足の行く一枚が出来れば終わり、というわけではない。
たとえばカメラの連続撮影機能で撮った写真のように、AIによる膨大な生成物の中から、奇跡の一枚を探し出す作業が始まる。

服の色が気に入らない、雲の形が今一つ、ここでバラが咲いているのは不自然じゃないか?

そんな取捨選択を経て、ようやく「これをレタッチしよう」という一枚が決まるのだ。

僕のコレクション【夕陽ヶ丘】は239枚のコレクションだが、保存してあるレタッチ候補だけで700枚を超えている。
保存すらしなかった没画像も含めると数千枚は作っているだろう。
そしてこれからも、より良いプロンプトを模索しながら、新たな画像を作っていく。

そこには確かに「こういう画像を作りたい」という思いがあり、「この画像がイメージ通りである」「美しい」という感性がある。
ならばAIによって作らせた画像も"作品"と言えるのではないかと、僕は思うのだ。


イラストではないけれど

AIが作る画像は、人の手によるイラストを模倣したものだ。これは認める。
イラストを描く人からすれば模倣されて良い気はしない、それも分かる。

だけどだからといって、AI作家までもが、イラストを模倣しているわけではない。
AIというツールを使って、頭の中のイメージを書き出しているだけだ。
成果物が人の手によるイラストに似ているから誤解されがちなだけで、AI作品は確かに、製作者の美意識を反映した"作品"なのである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?