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新橋のサラリーマンは蒸留家になれるでしょうか -マイクラにおける醸造の位置付けが興味深い-
(前置きで脱線しますごめんなさい)
本を読むのが好きです。正しくは社会人になってから急に本を読むようになりました。
コレが知りたいとなればいくらでも情報が転がっている現代の情報社会にあって、本のみに情報源を依存することに懐疑的な意見も当然あるわけですが、なぜか無料情報が溢れるほどに本を手に取ると落ち着く。それが日々加速しているように感じます。
裏を返せば、なぜもっと早く(できれば高校生あたりから)本のページをめくる楽しさに気づけなかったのか。
それはたぶん「仮説」を持っていなかったからです。
仮説を持っているから出会う情報を摂り入れられる
きっとこうだろう、私はこう思う、疑問やテーマに対して何らかの「仮説」を持ち始めるのって一定の知識量が必要です。私の場合は教科書丸暗記型だったにも関わらずなかなか体系的に知識が積み上がらず、仮説を持ちながら情報や現象に接することができるようになったのは社会人になってからでした。
仮説が出来上がっているからこそ、出会う情報に「やっぱそうだよね」「オレはそうは思わないな」「そういう考えもあるな」「そういうことだったのか」と対話、というか相槌が生まれます。そうやって自分の中の知の地層に養分が染み渡る感覚を持っています。
一方で、仮説がない状態で情報や体験を求めていくことはほぼ"冒険"になります。冒険心で手に取るものは私にとっては本ではなかったのです。
社会人になって仮説を持って情報を採り入れるようになった、は言い方を変えるなら、冒険要素を捨てながら社会人に近づいていったということでもあります。
楽器とゲームが"冒険"そのものだった
高校生の私にとっての"冒険"は楽器とゲームでした。
吹奏楽部に入って楽器を持つようになり、技術を磨く傍で毎日耳にする先輩やCDのプロ演奏は、まっさらの頭を刺激する心地よい冒険そのものでした。
新しい曲を聴いたり、初見の譜面に向き合う時間もまたたまらなく冒険的で、何の仮説も持たないからこそ体験できる特別な時間だったのだと思います。
そして、楽器以上に何も持たずに冒険的な時間を経験できる装置、それがゲームです。格闘ゲーム、シューティング、麻雀、RPG、、、、いろいろやりました。家でもゲーセンでも。試験中で部活がないときは毎日ゲーセン。ちょうどプレステやセガサターンといった家庭用のゲーム機が普及し始めて、ファミコン時代からのゲームファンが熱狂していた時代。あのポケモンも確か中学に入学した1995年に発売だった気がします。
「ゲームが冒険」とは何とも短絡で身も蓋もない話ですが、敷かれたレールに半信半疑になる年頃の私にとっては、兎にも角にもゲームの世界がもっとも予定調和しない刺激に満ちた場であったことは、今思い起こしても揺るがない真実です。
マイクラに求める大人の冒険時間
前置きが長くなりすぎる病はもはや治らないと諦めつつ、今日のテーマ「マイクラにおける醸造」(何それ?)について考えてみます。
画面の向こうのゲーム空間は、20年経って「仮想空間」「バーチャルリアリティ」などと名前を変えながら、テクノロジーやデバイスの進化による体験のリッチ化に先導される形でその定義から大きく変化しました。昨年あたりからメタバースなんて言葉が登場しましたが、あの空間での原体験は少年時代のゲーム空間に他なりません。
私にとってその本質は「仮説を持たずに飛び込んでいける冒険」です。
大人になって冒険を求める心理はあの頃とちょっと違いますが、息子に誘われて手に取ったマインクラフト、通称マイクラで久しぶりに冒険心が呼び起こされました。
広い意味ではマイクラもメタバースなんだそうですが、そんな定義はどうでもよくて、その空間に入り込んで、初めて出会うルールに身を委ねながら少しずつ仮説を育てていく感覚は楽器とゲーセンの中学時代に重なるものがあります。
VRだのMRだのメタバースだのと、新発明かのように言葉だけがどんどん新登場しますが、私もしくは同世代にとってそれらの仮想空間内での体験の心地よさを支えているのはある種のノスタルジーなんですね。
大人はノスタルジーを求めてテクノロジーにすり寄っていく。そう考えるとメタバースという言葉にも親近感が持てますね。
マイクラにおける醸造台
マイクラのサバイバルモードで少しずつ冒険を進めていくこと数ヶ月。
醸造台というアイテムが存在する情報を掴みました。放っておけないですね。
調べてみると醸造台をつくる(クラフトする)には、ネザーという強敵蠢く異世界の特定のモンスターを倒さないと入手できない材料が必要らしい。
そもそもそのネザーに行くために必要な準備も容易ではなく、ダイヤを見つけたりマグマのある深さまで掘り進めたりとカイジ顔負けの過酷なブラック労働が待っています。
そして万全の装備を用意してようやくネザーに行ったとしても、醸造台の材料をドロップするモンスターのいる要塞を探さないといけません。半分くらいマグマの世界で。
ちなみにその道中に現れるモンスターは、空中から火の玉を放ってきて足場ごと破壊したり、1体攻撃しただけで寄ってたかって剣持って加勢しにきたりする連中です。
そんな過酷な環境を、張り詰める緊張感とすぐに減る空腹度の中でなんとか攻略し、手に入れたレアアイテムを材料として念願の醸造台が完成します。
なかなかハードな道のりでしたが、達成までのハードルが高いほど得られるリターンが大きいと約束されているのがゲームの世界です。苦労してまでつくる意味があるのがこの醸造台なのです。
醸造台からは「ポーション」と呼ばれるものが作れます。当然醸造するにも材料が必要で、その材料も簡単には入手できないものが多いですが、出来上がるポーションの効力たるやなかなかです。
水の中で呼吸ができたり、マグマの中を歩けたり、透明になったり、運が良くなったり、もはや魔法です。
そう、マイクラの世界で醸造は魔法を生み出す行為と位置付けられています。
蒸留を目指すことは魔法使いの末裔になることかも
マイクラに限らず、現実の人類史においてもアルコールや独特の香味を生み出す醸造という行為は、人間の能力を超えた特別な技術/ワザと位置付けられていることが様々な文献から垣間見ることができます。
パスツールが発酵現象を科学的に解明するまでは、文字通り人智を超えていたわけですから、その現象から生まれたモノや効果への期待・信仰たるや、きっと想像の域を超えています。
醸造の技術を体得した人物は魔法使いのように扱われることもあったでしょう。あらためて"魔法使い"というと不思議な響きがしますよね。地に足のついていないふわふわした響き。現代においてはハリーポッターと落合陽一さんの本くらいしか登場しない単語かもしれません。
その醸造を前提にした「蒸留」もまた、ある種の尊さを秘めた魔性の行為なのかもしれません。はい、今日はこれが言いたかっただけです。
魔法を使いたいわけではありませんが、蒸留家を目指すその根底にあるのは、少年時代へのノスタルジーと仮説だけで予定調和しない世界への回帰欲求なのかもしれません。
今日は何言ってるのかさっぱりですね。
仕事します。
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