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新橋のサラリーマンは蒸留家になれるでしょうか -地図をつくりたい-

こんにちは。物書きは水曜がいいと気づきました。なんとなく自分のリズムで。ということで基本的に水曜日更新を心がけて、たまに番外的に不定期投稿もあるかもしれません。書きたいことはそれなりにたくさんありそうで、月に6-7本のペースをまずは目指そうと思います。

今日は無理して(現在本職の)広告の話から。

印象に残っている広告コピー

「好きな広告は?」「印象に残っている広告は?」

現在の仕事柄、よく聞かれると思いきやほとんど聞かれることのない質問です。おそらく就職活動の面接と入社後の研修とOB訪問での学生さんからの質問くらいではないでしょうか。この手の質問に巡り合うことはこれからも少ないと思います。

日常的に広告の"表現"のことばかりを考えているわけではないので、この質問の答えを常に持ち合わせているわけではないのが理由の半分。もう半分はその時の気分・環境によって答えが異なるので、聞くだけ野暮だなという定説が業界内で浸透しているのではないでしょうか。それだけ「広告」という存在は無時代的で年齢不詳で掴み所のないものです。

例外なく私も印象に残っている広告のスタメンはいつも流動的です。でも不思議なことにその中で比較的固定メンバーの広告がいくつかあって、蒸留家をやろう決めて拠点を探しているときにその1つがふと頭をよぎりました。

地図に残る仕事。

随分と昔の大手のゼネコンの広告コピーだったと思います。2022年の今においてはその言葉は当時の狙いとは違う響きを持っているので、コピーとして優れているか評価をするつもりはありません。

ただこのコピーがなんとなく印象に残っているのは、この言葉に触れた当時(おそらく2008年くらいか)の私自身のモチベーションに重なっていたからなのは間違いなさそうです。確かに大きくて不動で耐久性のある"建築"は現代都市の地図を象徴する要素に他なりません。新しく作った大きなものが社会の中で長きにわたって存在感を発揮していく。なんか誇らしい。

社会人になって数年の小僧には心震える1文でしょうね。制作側の気持ちもわかないでもありませんし、何より自分がもしその会社に所属する従業員だったら悪い気はしなかったでしょう。

やりたいのは地図をつくる方だった

ではそれから10年以上経って2022年の自分に「地図に残る仕事したい?」って質問をしたら、心を躍らせてYesかというとそうでもありません。

結果として地図に残る仕事は多少関わったかもしれませんが、必ずしも地図に残ることの延長に自己実現があるわけではないと気づき始めました。

やがてその気づきから得た仮説は、あのコピーで心が震えた"地図"は物質化された地理情報であるのと同時に、一人一人の記憶の中にある心象風景をも含んでいるものだということ。共通言語として可視化されることに意味がある一方で、十人十色の経験や思想や解釈がそれぞれの景色を作っていることもまた健全なはずという仮説です。世界はひとつじゃないよねって。

だとすると、地図に"残す"こと以前に「地図をつくる」行為にも大きな意味を見出せると自分と家族の別の可能性に出会えるのではないか。直感ですが根強く心に残り続けている直感で、今も大きく揺らいでいません。

地図をつくる仕事。

どんな地図でしょうか。

蒸留酒と聞いて「焼酎」「泡盛」が思い浮かぶこの国に、異なる風を吹き込んでみた結果生まれる新たな蒸留カルチャーマップでしょうか。

都市に住みながら定年までを企業での労働に捧げる人生観に、別の選択肢を提案することで偶発的に生まれる共鳴・共感の連鎖のようなものでしょうか。

離れた複数の拠点をひとつの家のように共有しながら「ひとつ屋根の下」だけではない動的な家族の生活圏・暮らし方の未来像でしょうか。

今そのゴールを設定する必要はないのですが、「地図をつくる」というテーマはこれからも、いや今だからこそ持ち続けていくべき事かもしれませんね。

地図をつくる仕事をする、という誓いでした。

#39歳の転職活動

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