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分籍をして…深まる戸籍の謎

分籍に至るまで

 2001年に上京し、ついに故郷の北九州よりも東京での生活歴が長くなりました。
折にふれて気になっていたこと、それは本籍地問題です。

 私は北九州市の出身です。本籍地も区までは私の生まれ育った場所なのですが、町名は私にとっては縁もゆかりもない場所でいまだに本籍地を正確に言えません。しかも、筆頭戸籍人は私は会ったこともない血縁関係のない人です。
なぜ、こんなことになっているかというと、私の兄の父親(兄が生まれてすぐに病死)が筆頭戸籍人で、私の実の父親(こちらもすでに病死)からは認知という形だからです。
兄は福岡で家庭を持っているので自分の戸籍、私と同じ戸籍に残るのは後期高齢者の母(80歳)のみになります。

 戸籍抄本、パスポートの期限が切れた時など地味に必要になる時があります。
今までは母に区役所に取りに行ってもらって送ってもらっていましたが、そろそろそれもと思うし、自分で覚えていない(母も覚えていない)住所が本籍なのもなんだかな…ということで、自分の本籍を東京に転籍することにしました。
ちなみに私が親の戸籍から抜けるということで分籍という手続きになります。

 帰省をした機会にしてもらおうと母と一緒に区役所に赴きました。東京の区役所と違い、平日の午後の区役所はガラガラです。
近くにいた案内のような人に「本籍はこちらの区なのですが、東京にずっと住んでいるので本籍地を東京に移したくて…」と話しかけると、「転籍ですね。ではこの番号札で8番窓口の前でお待ちください」と食い気味に回答されました。

 母は自分の用事で別の窓口に行っていたので、8番窓口の前の椅子に座っていると、先ほどの案内をしてくれた人が走って戻ってきて窓口の中に入りました。少し嫌な予感がしながら待っていると、やはりその人が何か打ち込み私の持っている番号が呼び出されました。お店屋さんごっこみたいな気持ちになり、ちょっと笑ってしまいました。

 先ほどと同じ内容を話しました。転籍の書類を出されたので、自分なりに調べた情報だと「分籍」になるけど違うのかな?と思いつつ話しながら書き始めたところ、「あっ、それは分籍ですね。」ということで、分籍届を書くことになりました。

 分籍届を記入し始めたのですが、担当の方が「お住まいの区役所でもできますし、こちらで分籍の手続きをすると前までとやり方が変わってまして、データ送信に不具合も多くて確認もいろいろあるので、データを送信して東京で新しい戸籍ができるまでお時間結構いただくことになるんですけど…」ととにかく私が手続きをすることにめちゃくちゃ消極的です。
こちらはデータ送信で時間がかかる?不具合が多い?頭の中は⁇だらけですが、これが日本のデジ道の限界…と初代デジタル大臣の「デジ道」の光景を思い出しました。ここで日本の「デジ道」の洗礼を受けるとは…。

 しかし、ここで挫けるわけにはいかない!もう済ませる!と思い「平日の昼間になかなか役所に行けないし、もう今日済ませます!」と宣言しました。
担当者もそれで受け付けてくれる気になったのか、分籍届の書き方を指示し始めました。

 現住所を書き、現在の本籍地となった時に私のペンを持つ手が止まりました…。
前述したように町名までしかわかりません。ちょうど自分の用事を終えた母がやってきたので「本籍地の住所わかる?」と尋ねたら「町名までしかわからん」ときっぱり。
慌てて母が住民票を申請することになりました…。そして、筆頭戸籍人。下の名前の漢字がわかりません。なんせ、会ったことも血のつながりもなく、位牌と写真しか見たことない人なのです。むしろ、かろうじて名前を覚えていたことを褒めてほしいぐらいです。
「すみません、あの実の父親ではなくて名前がちょっとわからないので母が戻ってきてから…」と、なんだかもう特殊詐欺の下っ端みたいな気持ちになってきました。担当者も苦笑いで「新しい本籍地を記入してください」と促してくれました。

 新しい本籍地、現住所を書こうとした瞬間にふと「あれ?今住んでいるのは賃貸だし、引越したら、また本籍地を変えないといけないのか?」という疑問が浮かびました。
別に変更の必要はないですが、他人の住む賃貸物件を本籍地にしておくのもなんとなく申し訳ない気持ちになりそうです。
その時、事前に調べていた「本籍地はどこにしてもよい」「皇居を本籍地にしている人もいる」ということを思い出しました。
さすがに皇居にとは思わないですが、現住所の公共施設にしてしまおうと思いつきました。
「本籍ってどこでもいいんでよね。例えばここでもいいんですよね?」と担当者にiPhoneの画面を見せました。「大丈夫ですよ。」と言われ、私にも変な自意識が働き「賃貸なんで引っ越してもわかりやすいようにと思って」と言い訳じみたことを言ってしまいました。
担当者は「今は全国どこでも簡単に戸籍抄本も謄本もとれるのであんまり転籍される方いないんですよね」と本日二度目の消極的な発言…。
私は気にせず生き生きと新しい本籍地を記入しました。

※ちなみに友人が遠隔地の戸籍謄本の取り方を送ってくれましたが、全然簡単じゃない!

北九州市の場合…意識が遠のきそうな流れです。

 母がやってきて、無事に本籍地と戸籍筆頭人を記入しました。担当者が「分籍はご両親の籍から抜けるので二度と元の籍には戻れませんよ」と黄泉の国に旅立つ前ぐらいな最終確認をしてきます。筆頭戸籍人は血縁関係ないし既に黄泉の国だし、母親も黄泉の国へのカウントダウンが始まっとるしと迷いなく「はい!」と答えて手続き完了です。
2週間ぐらいで住民票に反映され、私の新しい戸籍ができて、私は筆頭戸籍人に!
「筆頭」…『魁‼︎男塾』が大好きな私には憧れの称号!
終わった後に隣で母が「覚えとらんの不便やけ、私も来月ぐらいに今の住所に変えるわー」と言っていました。
どうも旧本籍地は兄の父親の実家の工場があった場所らしいというぼんやりとした情報しか母もなく、戸籍とはしばってくるわりに結構雑な経緯だったり、筆頭戸籍人が亡くなっても変わらないとか不思議なシステムだなと45歳にして体験しました。

祖母の戸籍謄本のロマン

 実家に戻って一息ついたところで、母がこんなものが出てきたと丁寧な書き込みがされた地図や古めかしい戸籍謄本を出してきました。
地図は昭和54年の日付。瀬戸内海の島のものです。役場の人の丁寧な書き込みがあります。

母の話によると、祖母が自分の本籍地を一度訪ねたいと生前言っていたそうです。母方の祖母で、私がとても影響を受けた人です。松本清張も三島由紀夫も、読書がいかに世界を広げてくれるかも、祖母に教えてもらいました。横溝正史も大好きでした。
「ゆうちゃん、知識は力になるけえ、本をたくさん読んで損になることは一つもないんよ」と一緒に図書館によく通いました。
祖母が四国の方で生まれて北九州に養女に出された話は生前に聞いていました。(30年前に亡くなっています)
しかし、瀬戸内海の島だったとは!しかも自分で島の役場とやりとりをして詳細を調べていたなんて!
なんとも言えないロマンのような、しかし松本清張のごとく鋭い目で調査し、瀬戸内海の島から感じる横溝正史の香り…これは調べねば、行かねば!な気持ちになりました。
母は実際に生前の祖母がその島に行きたがっていたことが心のどこかに引っかかっていたらしく、この資料がでてきたことによりさらにその気持ちが強まったようです。

 私と母はあまり関係性のよい親子ではありません。というか、今は物理的な距離から折り合いがついた気持ちになってきていますが、幼少期のことを思い出すとわだかまりが出てきて疼くことがあります。
なので、一緒にその島に行くことはないと思います。しかし、祖母と母の関係性、私と祖母の関係性の中で、それぞれ想いを馳せてその島に行くということでいいのかなと思っています。

 私と母の戸籍謄本には全くロマンのかけらも思い入れもないものでしたが、祖母の戸籍謄本には祖母の思いが詰まっていて、娘と孫を駆り立てるものでした。
そう思うと私は今回分籍してよかったなとますます思いました。いつか姪たちが私の戸籍謄本を見て、なんで北九州から東京に?しかも東京でもなんでここ?と不思議に思うかもしれませんが、いまのところ成人してからの私の思い出が一番詰まった街です。
「それにしてもここにする⁈」と姪たちに呆れられたら黄泉の国でニヤリとしてやります。

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