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依存するかしかないかは、きっと紙一重

やってしまっていた記憶を掘り起こされました。

#叱る依存が止まらない
#村中直人



それは長男長女が小さい頃。
静かにしておかないといけないところは、行く前に伝えていると、ちゃんと言っていることを理解してくれていた彼ら。
常に何に対しても理由とお願いしたい行動を伝えて“理解”して、自分で考えられるようになって欲しいと常々考えて育児していた。

でもそんな彼らも自我ば芽生える2歳やと4〜5歳前後は、出かけるのも嫌、出かけたら帰るのが嫌とぐずる。
してはいけないと言われたことをやってみる、というフェーズに入った。
「それは商品だから触っちゃいけないって教えたでしょう!」
とつい声が大きくなる。もちろんダメなことなのだけれど、どちらかというと、ダメなことをしている子どもに対して
「叱っている姿を見せねば」
というメンタル
になっていたのを、当時から感じていた。
家の中にいたらたいして怒る必要はないけれど、外に出て歩かないと、子どもの体力がつかない、刺激を与えられない、と必死に外に連れ出していた。
そして外に出ると叱る必要が出てきて、特にまとめ買いのために行くけれど、週末のショッピングモールはストレスマックスだった。ショッピングモールではなくスーパーに変えたら、一気にストレス軽減。なぜなら叱らねば!という場面が一気に減るから。

私は子どもの頃に受けた精神的な言葉の暴力や目撃した攻撃的な場面から、大きな声やドン!と物に当たる音で心臓が止まる気がする。
私は子供を叱りながら自分も傷つけていたのだと、マルトリートメントに関する本を読んで知った。そして子どもが小さい時に口にしてしまっていた言葉の中に不適切な言葉がたくさん散らばっていたことも。
叱るエネルギーは10年ほど前に失ったけれど(相手を変えようとは思わなくなったからかも)“何気ないことば”が良くないことを知って気をつけるようになり、さらに「人権」に関する理解も深まった。

子育てだけじゃなく他者に対して“処罰感情”を抱いてしまう人は、一度読むと良い本。

※ちなみに大抵のことはスルーだけど、どうしても「子どもに対する犯罪」だけは、処罰感情が強くなる。
世の中のためとか相手のため、とは一切おもわず、ただただ腹立たしい気持ちになる。
それは子どもを持つ親だからかもしれないし、子どもの頃の自分のためかもしれない。

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