【ピリカ文庫】赤ワイン【ショートショート】
『はぁーっ』
また、ため息だ。
今日もひどい目に遭った。
どうやらボクは、神様が主催している『全日本不幸な人選手権』へ勝手にエントリーされてしまったらしい。
この調子なら、世界選手権も参加することになりそうだ。
「はぁ〜っ」
何度目のため息だろう。
幸せが逃げるとか、悪い方向に行くとか、言われるけれど、勝手に出てきてしまうものは、どうすることもできない。
くしゃみや欠伸みたいなものだ。
「ため息・・・ですか」
耳元にかすかな声が聞こえてきた。
音のなる方を一瞥すると、そこには、透き通るような白い肌と、何もかも吸い込んでしまいそうな真っ黒な瞳の女性が座っていた。
目が離せなくなっていた。
「私の顔に何かついてますか?」
「あっ、えっと、ひっ・・・瞳がついてます」
「ふふっ。あなたもついてますよ」
「そうですよね。ボクは何を言っているのやら。アハハ・・・ハァーッ」
「『はぁーっ』こぼれてますよ」
「このため息は『全日本不幸な人選手権』に参加したボクの役目みたいなものです」
「あらっ。そのような大会があるのですね」
「えぇ。これがかなり順調でして、このままだと世界選手権ですよ」
「うふふ。それは大変」
彼女のかすかな笑みが、なぜだかボクの心を軽くしていた。
「どうして、声をかけてきたのですか」
「どうしてでしょう『ものすごいため息をつくなぁ』と思っていたら、声をかけていました」
「不快な気分にさせてしまいましたね」
「いえ。おかげで大会の話が聞けました」
「まったく、とんでもない大会です」
「ほんとですね」
「つかぬことをお聞きしますが、ここにはよくいらっしゃるんですか?」
「えぇ。最近、来るようになりました」
「また会えるかもしれませんね」
「そうですね。またお話しましょう」
そう言って、ボクらは別れた。
それからというもの、彼女に会うのが楽しくて仕方がなかった。
ボクは、今まで体験した災難について話した。
どれも他愛もないものだけれど、彼女は笑ってくれた。
そんな日々を繰り返す内に、いつしか好きになっていた。
ボクは勇気を振り絞って、彼女を食事に誘うことに。
「そう言えば、近くにフランス料理店がありまして、料理だけでなく、ワインの種類も豊富なんですけど・・・もし良ければ、行ってみませんか」
「いいですね。ぜひ」
内心は不安で一杯だったが、彼女のにっこりほほ笑む表情に救われた。
「はぁーっ。良かった」
思わず声が漏れてしまった。
「『はぁーっ』こぼれてますよ」
「お恥ずかしい」
「はぁーっ。楽しみ」
「本当ですか?」
「もちろん」
そして、その日はやってきた。
この日のために、事前に調べてきた。
ワインの歴史。
原料や保存方法。
古代ローマ人の飲み方。
スワリングは反時計回り。
ワインはキリストの血。ワインはキリ・・・
「お客様。ご注文はいかがいたしますか」
「えぇ~っと」
ぬかった。
肝心な注文方法を調べていない。
どうする。考えるんだ。
たしか、赤ワイン定番の品種があったはず。
「コホン。カルベノ・ソーヴィニヨン種のフルボディーはありますか」
「カベルネ・ソーヴィニヨン種のフルボディーですね。それでしたら・・・」
カルベじゃない。
なんで出てきた。カルベ。冷静になれ。大丈夫。彼女は気づいていな・・・
「ふふっ。うふふ。カルベ・・・」
終わった。ボクの恋は。
ありがとう。カルベ。
それからのボクは、何を話したかおぼえていない。
そんな抜け殻状態の中、ウェイターが、カルベを持ってやってきた。
「カルベきちゃいますね」
いたずらっぽく、彼女は言った。
「はい。きちゃいます」
運ばれてきたカルベの頭が、そっと抜かれる。
小さく「シュッ」という音が響いた。
「はぁ〜っ。楽しいですね」
彼女は、ボソッと聞こえるか聞こえないかのように呟いた。
「本当ですか?」
「はい。あっ『はぁ~っ』がこぼれちゃいました」
恥ずかしそうにはにかむ彼女。
これが『淑女のため息』というのだろうか。
ボクは、ほほ笑む彼女を見つめていた。
『はぁ~っ』
また。ため息だ。
どうやらこれは『幸せのため息』というものらしい。
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