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独白

これから書くのは、ある告白だ。ラブレターなんて洒落たものではない。薄汚れて歪んだ、遂行できなかった決意の供養だ。

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一体何人が、一生のうちに鬱を経験するのだろう。そのうち何人が自死を望み、何人が行動に移すのだろう。駅のホームで電光掲示板を眺めながら、そんなことを考える。
今すぐこの世からいなくなる方法があるのなら。痛みも苦しみもなく、舞台の照明が落ちて暗転するように、全て終わらせられる方法があるのなら。…もし、それが目の前のホームに飛び込むことなのだとしたら?
17歳の私は、前へ踏み出す衝動に駆られる。正常な思考を失った脳は、足を前に進めようとする。必要なのは勇気ではなく、一瞬の気の迷い。今だ、と思った瞬間に電車がホームの隙間を埋め、人波が移動する。

死にたがりはその日も死ねなかった。

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幼かった私は20歳までに死のうと決めた。何て事はない、自分を助けてくれなかった大人と同じ括りに入れられたくなかったからだ。“助けてくれなかった”は厳密に言えばおそらく違うのだろうが、他人に期待しなくなったあたり、今もどこかで頑なに信じているのだと思う。
持っていたのは絶望だけだった。あと何年こうして死にたいまま生きなければならないのだろう、あとどれだけ経てば楽になれるのだろうとしか考えていなかった。日毎に地獄の濃度が増していく中で、いつか死ぬという決意だけが生きる動機だった。

そして、4年の月日が流れた。あれほど全身を満たしていた狂気は日毎に薄れ、後には底のない虚しさが残った。死にたくないが積極的に生きる気は全くもってない。苦しんで生きるくらいなら殺してくれ、が本音である。
あの頃の私は、本気で死にたかった。本気で死のうとし、本気で生きようともがいていた。希死念慮と背中合わせだった生への足掻きはその狂いようが落ち着くほど影を潜め、消極的安楽死へと足を進めた。
21歳の私は存在しないはずだった。もちろん、この年末には22歳になっている私も。20歳の誕生日を迎える前に消えているはずだったのだから。
あの決意はどこに消えたのだろうか。狂ったほど望んでいた死が、今はどうにも恐ろしい。そのくせ生きる気力も薄いのだから、最早何がしたいのか分からない。人工呼吸器が必要になるような病気になるくらいなら、これからますます生きづらくなるなら、何も起こらないうちに早死にしたいなあという程度の薄い希死念慮。服薬中はそれが少し重くなって、真夜中の思考に割り込んでくる。

乱暴な言葉で一まとめにすると、“生き地獄”。絶望感に最早笑ってしまう。思考の片隅に居座るそれは、時折手を伸ばして緩やかに首を絞める。真綿のように。
いつか生きていて良かったと思える日が来るのだろうか。幸せだと思える日が来るのだろうか。自由になれる日が来るのだろうか。死にたがりの私には分からないままだ。

私がこれまで歩んできた地獄のどれか一つでもなかったとしたら。消えたいと泣く夜がほんの僅かでも少なかったら。価値観を根底から覆されるほどの痛みがもう少し遅く始まっていたとしたら。きっとこの文章を書いているのは私ではない。「一緒に幸せになろうね」と言ってくれた友人にも出会っていない。
私の後ろに残った足跡が無駄ではないのかもしれない、と思うのは楽観的すぎるだろうか。

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17歳の私へ。
あなたはちゃんと20歳になったよ。21歳になって、あなたの抱える痛みと違う痛みに時々泣きながら、狭い視野の中で絶望しながら、それでもやっぱり生きているよ。
生きていて良かったと思えることばかりではないし、あの時死んでいれば良かったと思うこともあるけれど、私はあなたが繋いでくれた夢を叶えるために歩いているから。
良いことがなかったら怒っていいし、それ見たことかと笑っていいから、もう少しだけ生きることを許してほしい。あなたの信じていなかった“いつか”を信じさせてほしい。

さようなら。そして、おやすみなさい。

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