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日記2(自分の軸がないと一生競争し続けなければならない話)

さて、2日目の日記だ。

テーマは自分の軸がないと一生競争し続ける運命になるというお話。

ほとんどの人は小さなころから競争をし続けている。それは日本の教育システム上の問題なので、別にそれが悪いこととは思わないが、一生競争し続けるというのはどうなのだろう?というのが今回の趣旨である。

僕は全く競争をしないというのはよくないと思っている。それは競争で得れれるものもあるからだ。軽く例を挙げると、
・勝つための戦略を練る大切さを知れる
・勝つことで自信が得られる
・負けを分析することで次につながる
・負けることで悔しさを知り、次へのエネルギーになるetc...

まぁ、人生で一回も競争をしたことがない人なんていないとは思うが、もし競争をしなければ上記のような人生において大事なものが欠落してしまう。そしてその人からは何も感じない薄っぺらい人になってしまうと思う。

後は単純に競争することが刺激になり、人生を豊かにする。何も競争のないただ平凡な日常をずっと過ごし続けるのもつまらないだろう。うどんを食べてる途中に七味唐辛子という刺激をいれることでより美味しさを感じられるように、人生もある程度の競争という名の刺激が必要なのだ。

だからと言って、七味唐辛子だけを食べる人はいないだろう。そんなの刺激が強すぎて耐えられない。だが、自分の人生で七味だけを食べ続けている、つまりは競争し続けてしまっている人はたくさんいる。

僕は競争というのは、自分の意志でどんなことをどんな人たちとするのかを選んでやるものだと思っている。うどんに七味をいれるのは自分で七味を選んでいれるだろうし、他人にかってにマヨネーズやケチャップを入れられたら嫌なはずだ。だけど、多くの人は自分の意志とは関係ない競争に巻き込まれてしまっているし、それを当たり前のように受け入れてる。

なぜそうなってしまうのだろうか?

その理由がタイトルにもあるように、「自分の軸を持っていないから」だと僕は思っている。

ここでいう自分の軸とは「俺はこういう生き方をするぜ」とか「これだけは譲れない」とか何か自分の中に明確な信念や思想があということ。そしてそれに沿って行動しているひとが自分の軸を持っているということになる。

そもそも競争とは他者との相対評価なので、明確な軸を持っている人はわざわざ人と比べるとかいうことをしない。故に競争になることがないのだ。逆に軸がない人は、その相対評価でしか自分を肯定できないから自然と競争をせざるを得なくなってしまう。

その最たる例が学歴マウントを取っている人たちだろう。彼らは偏差値という相対評価の中でしか自分を評価できない。

自分自身に軸がなく、自分の魅力で勝負出来ないから偏差値というもので、自分より低い人達に対してマウントを取る。

これは、服やアクセサリーをブランド品で固めてるけど、中身が薄っぺらい人のようなものだ。彼らは自分の価値を自分という中身に置いているのではなく、ブランド品という外に置いているのだ。

その人たちと偏差値でマウントを取ってる人は本質的には同じである。

そうなると彼らの価値は彼ら自身の魅力ではなく、ブランド品の魅力によってだけ決められる。高いものを身につければ高くなるという寸法だ。偏差値でしかマウントできないひとはその人が通っている大学によって決められる。

さらに言うと、ブランド品や偏差値がその人の価値とイコールではないから、自分自身に絶対的な価値を置けないと、下を見ることによってでしか自分を承認できない。

そんな人たちに僕は魅力を感じないし、僕はそうにはなりたくないと思う。自分自身中身の魅力で勝負できるようになりたいし、そういった意識の人と関わっていきたい。

これは情報発信でも全く同じで、自分自身ではなく情報に価値をおいている人は一生、競走の運命になるし、さっき言ったように情報量が自分より低い人にしか発信の対象にできない。

だからそんなレースから抜け出すためにも自分自身に価値をおけるようになることが大事になってくると僕は思う。

そしてそのための努力を続けていきたい。

終わり。








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