命綱

ある時、大好きな音楽が聞けなくなった。

辛くて毎日泣いていた時も、生きていくことが嫌になった時も、いつも音楽に救われてきた。

深夜に窓枠に座って外を眺めて聴く音楽が好きだった。
涙が止まらない夜はいつもそうしていた。
その時間だけはまだ自分も世間と繋がっていられてるような気がした。

自分には普通に結婚して子供を持つ、みたいな当たり前の幸せが来ないと初めて思ったのは小学生だった。
その現実をすんなりと受け入れられたのは幼さ故の現実感のなさが大きかったのではないかと思う。

初めて自分のセクシャリティで悩んだのは高校生。当時はノンセクのレズビアンで性別違和って感じだったから、ノンセクとして恋愛できるのか悩んだ。

次に悩んだのは大学2年。
20歳になって、結婚適齢期と呼ばれる年齢が意外と遠くないと感じた時。
Aセクシャルに限りなく近いと思っているのにパートナーは欲しいと感じていて、そのギャップと寂しさに苦しんだ。

その頃、大好きだった曲のほとんどが聞けなくなった。
ポジティブな曲は自分との差に落ち込んだ。
恋愛曲は欲しいのに手に入らないものを見せつけられてるみたいで悲しくなった。
意志の強い戦うような曲は自分の弱さを抉られるみたいで怖くなった。
ネガティブな曲は一緒に落ち込んで戻って来れなくなった。

寂しくて、辛くて、精神的に追い詰められていくのに縋れるものがどんどん減っていく感じ。

その時唯一聴けた曲だけを毎日何十回も聞き続けた。
朝起きてから夜寝るまで、一人の時間はずっと聴き続けた。
その曲だけは自分の弱さとか寂しさを認めてくれた気がした。

少し回復した頃、いつかその歌を歌ってくれた人に会いに行こうと思った。
辛くて寂しくて苦しい毎日で唯一の救いだったその曲のおかげで今もなんとか生きている。

いつか本当の意味で辛い毎日を抜け出せた時、1年後も自分は生きていると自信を持って思えるようになった時、その人に会いに行こうと思う。

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