「私」

最近ふと、自分の一人称が「自分」になったのはいつだったのかと気になった。友人とのメールを遡った結果、大学2年の春らしかった。そこから、過去自分が使ってきた一人称たちと、本当は使いたかった一人称について考えた。

きっかけは、少し前に知り合った人の一人称が「僕」だったこと。その人は可愛らしく、女性的なデザインのサンダルやスカートを着て、メイクをして、外見上は女性で性別に悩んでいるようにも見えなくて、でも自分が使えなかった言葉を使えるその人を羨ましく思った。
女の子であるということで「私」を使うように言われ、「僕」や「俺」は変だと思われる。陰口を言われたくない。結局自分は"女の子"から逃げられない。そんなことを考え続けた学生時代をその人に救われた気がした。

幼少期から"普通の女の子"になれなかった自分の一人称との戦いはとても長く、「自分」に落ち着いた今でももっと楽な一人称があればと思うことも多い。というか、本当はなんの疑問もなく好きな一人称が使えればというのが近い。

幼児期(〜4歳)

当時の自分の一人称は自分の名前だった。家族がそう呼んでいたし、幼稚園には同じような子がたくさんいた。
外での一人称が迷子になっている時も、高校まで家での一人称は名前だった。当時は男の子になりたい!とか、スカート嫌!とかもなかったから本当にただの、どこにでもいる"女の子"みたいだった。

5歳〜中学2年

5歳、年長だった当時、同級生の間で「うち」という一人称が流行った。
当時の自分は「わたし」は自分には大人過ぎて使えない、なんとなく気恥ずかしいと感じていて、そんな時に流行った「うち」は救いだった。
「ぼく」も「わたし」も使えず、5歳にして既に一人称迷子に陥っていた自分は、馬鹿にされることも自分が使えないと思いながら無理をすることもない言葉に確かに救われた。

小学生の頃は男言葉を使って、「うち」が一人称で、恋愛とかオシャレとか女の子らしいことにあまり興味がない子って感じだった。放課後は公園を走り回り、砂場全体に街を作り、木登りをして木の上で本を読んだ。
当時は男の子の遊び(というより女の子の遊びとは言われない遊び)が好きで、男の子だったら楽なのにと思っていた。
そういう思いから男言葉を使ってた時期もあった。お前とか命令形とか、それが男らしさだと思ってたから。(今は理想がジェントルマンみたいな感じだから、それに合わせて言葉も丸くなった。)

中学生のある日、唐突に「うち」って頭悪そうだなと思った。10年前の自分には救いの手だったはずの言葉が、10年近く使い続けた言葉が、その瞬間使えなくなった。自分はまた迷子になった。
たしかに年を重ねるにつれ周りはだんだんと「私」になっていき、「うち」は減っていた。「私」の方がしっかりして見えたし、一人だけ大人になれずに取り残されるみたいだった。

「うち」として生きている間も男の子なら「僕」と言えて、誰にも何もいわれないのに、と思っていた時期もある。当時「僕」ということでイタいとか、なんで女の子なのにとか思われたり、実際に言われることが怖かった。だから女の子の言葉も男の子の言葉も使えなくなっていった。

中学後半〜大学1年

中学で迷子になった自分は、そのまま数年間迷子だった。その間は出来るだけ一人称を使わずに過ごした。主語を抜いて会話をして、誰の話?と聞かれると自分を指差した。「私」、「僕」、「うち」。全部使えなくなって、ごまかしながら生活した。

高校の頃、インターネット上で女性に生まれたが「私」が使えないと悩む人と出会った。自分はその人に「私」は女性でも男性でも使える、性別に悩んでいるからこそ「私」なのだと話した。
そう言いながらも現実の自分は「私」が使えないと同じく悩んでた。
実際は「私」と言わなければいけない時、その違和感とストレスに折り合いをつけるための自分への言い訳として使ってた理屈だったけど、その人は逆転の発想だと喜んでくれた。今その人は「私」を使えているのかと今でも時々考える。

大学2年〜現在

当時やってたドラマか何かで一人称が「自分」の人がいた。それをみて、その手があったか‼︎みたいなことを思った気がする。それから自分は「自分」になった。

「自分」になって変わったことは、一人称を無意識に使うようになったこと。迷子中はずっと主語をごまかして、その為に必死に頭を使って話していて、誰の話?とか聞かれることがストレスだった。

「自分」は「私」という意味と、場合によっては「貴方」という意味でも使われる。会話の中で「自分」を使うと時々伝わらない時がある。それは面倒くさいなと思うけど、自分が使える言葉は他にないから、誰の話?と聞かれるよりずっとましだから。そう思いながら「自分」は生きてる。

今、自分は「自分」として生きてる。でも、いつまで「自分」で生きられるんだろうと思う。
年齢が上がれば、自分の違和感をうまくごまかして周りとうまくやるようになるかもしれない。大人になったら、就職したら、「私」にしなければならない時が来るかもしれない。

自分はいつまで自分でいられるんだろう。

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