【本郷義志伝】第二章 本郷家の養子
第二章 本郷家の養子
北方城に来てから三年後の一五七七年(天正五年)
二月に入り、織田が播磨に侵攻して来た。
織田は勢いに乗じて播磨国の主要な国人衆を次々と屈服させた。播磨の北に位置する北方城の本郷も、徐々に織田の圧力を感じ初めていた。
織田による播磨への侵攻が始まって以来、叔父上は度々、家臣達を集めて評定を開くようになっていた。そんな中、織田側から、味方になるよう催促する文が本郷家に送られてくるようになっていてきた。この事態に、叔父上は、評定の場で、織田には付かないという本郷家の立場を明らかにした。この評定の場で織田には付かないという本郷家の立場を明らかにした。この評定の後、叔父上は私達兄弟の元に来て、武芸と学問は、武士にとって大切なものである事を説き、ご家来衆の教えをしっかりと聞いて戦乱の世を生き抜く人間になってくれと申された。
学問は習字の稽古で、本郷家家臣の長井八郎殿が私達に教える事になった。
武芸は弓の鍛錬で、同じく家臣の小舘彦左衛門殿の教えを受ける事になった。一日五時間の習字の稽古と弓の鍛錬は、私にとって本郷家の武士としての自覚を促すものになった。
続く
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