見出し画像

【本郷義志伝】第一章 父の討死と玉川家の滅亡

※私は、昔から霊媒体質でよく夢を見ております。
信じ難いと思われますが、私の過去世を名乗る方が初めて昨年二月の夢に出てきました。
その方は、本郷義則と名乗り宇喜多秀家と山田半助の三人で安芸国(広島)
毛利家を頼るも断られたので薩摩国まで徒歩で向かった夢がきっかけです。
後々、過去世の本郷義則の夢を何度か見ました。
過去世の本郷義則は、昨年十二月にも夢に出て来て小説風の伝記として書き残してほしいとの事でこうやってnoteに投降しようと思いました。

第一章:父の戦死と玉川家の廃絶
一五六九年(永禄十二年)四月、私は播磨国の一豪族の家の嫡男として生まれた。初名は、玉川初五郎である。父は播磨国の国人衆の一人で、鷹狩りの名手として有名であった。
一五七四年(天正二年)三月、播磨国において国人衆同士の戦が起こった。
この時、私は数えで六つの歳になっていた。播磨国は、当時、国人衆が赤松派と反赤松派に分かれて争っていた。
父上率いる我が玉川家は赤松派の国人衆として参陣した。
私には、二つ年下の弟である助五郎がいた。
私達はこの戦の最中、母上、侍女、家臣達と播磨国玉川庄の玉川屋敷で待機していた。
その頃、父上は播磨国置塩にて赤松家嫡流の赤松忠則様の下、反赤松派国人衆の取り込みを図り、赤松一族と共に龍野城に押し寄せ、龍野城の三の丸の攻略に取り掛かった。しかし、三の丸は湿地帯に建てられ、攻めにくく、足を取られているうちに、敵方の矢が雨あられと降り注ぎ、玉川勢は二百名余りの戦死者を出すに至った。それでも、父上は残った兵士達に攻撃命令を出し続けた。刀を振りかざしながら突撃を繰り返す兵士達に、龍野勢は矢を浴びせかける。玉川の兵士達は次々と倒れていった。
 ついに父上が撤退命令を出し、残った玉川勢が退却を始めたところに、龍野勢の追い打ちに会う。父上は残った五人の家来と共に、龍野から南へ一理ほどの、霧深い山奥へ逃げ込み、その一角で、家来と刺し違え、自害した。
以上、ここまでが第一章の最初の切取り文です。
続く

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?