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素晴らしき私の幼少時代

北関東の小さな街に育った私は
歳を重ねれば重ねるほど、いなかを恋しく思い出す。
幼い頃の遊び場といえば
休耕中の田や畑、小川、背の高さまで雑草が生えた原っぱ。
おとなになるとわかるが、これはみんなよそ様の土地。
でも、私達子供にとっては
空いてる土地全部が遊び場だ。
田んぼや畑を縦横無尽にかけまわり
わらの山に飛び込み、おだがけの棒にぶら下がり(おだがけ 知ってますか?)それをとがめる大人もいない、素晴らしい環境で日が暮れるまで遊んでいた。

日が暮れると、おばあちゃんが迎えにくる子もいた。
たいていの家で、若い親たちは働きに出ていて、子供の世話をするのは家を預かるその親たちだった。
迎えがない子も、それにあわせて家路を急いだ。
暗くなると「かくれんぼばあさん」という恐いおばあさんが子供をさらってしまうと、言い聞かされていたからだ。
架空のおばあさんはどこから生まれたのか。
どんな格好をしているのか。
私達にとってはこれ以上こわいものはないほど
恐れていたおばあさんだった。

私の両親も共働きで、私は7歳まで一人っ子だったので
ひとりで遊ぶことも多かった。
お気に入りだった遊びは、用水路にハンカチを流す遊び
水路の水はとてもきれいで、勢いがいい。
ハンカチを落とし、流れ着く前に走って先回りする。
たまに、タイミングが合わず見失ってしまうものもあった。
新しいフリルのついたハンカチが
ふたのついたゾーンへと流されてもう拾い上げることができない。
母に問い詰められたらどうしようとおびえて帰っても、忙しい母に気付かれることは一度もなかった。

冬に小川に行くと、水に垂れた枯草にアイスキャンディのように氷がついて
キラキラ光っている。
これを見たことがない人に、どんなものか見せてあげたいな。
自然がつくったアート作品の美しさに
子供ながらにみとれたものだ。
椿のまだ堅いつぼみをむいてピンクのはなびらを開くと
もうじき春が来るんだなと感じた。

庭にある柿の木の上には
王座のように座れる場所があった。
柿の木のうろこも、何度も登るせいでなめらかに
なんともいえない手触りになっている。
学校から帰ると、リコーダーを持って登り
学校で習った曲を吹く。
空は果てしなく高く、リコーダーの音は風にかき消されて
竹藪の竹がおいでおいでをするように揺れている。

一人遊びが多かった私は、柿の木の王座に座ると
「女王として、家来へ訓示を述べる」
という遊びをよくしていた。
変わった子供だ。
飛び交う雀や、上空を飛ぶカラスにも女王として指示を出す。
キャベツの畑を舞うモンシロチョウも家来だった。
あの頃は視力もはんぱなく良かったのだろう。
よちよちと草をはうテントウムシまでも、王座から見つけて
声をかけていた気がする。

この世のすべてはここにあると思っていたあの頃。
やがて世の中が想像もつかないほど広いと思い知らされ
自分は女王様ではいられなくなった。

いなか育ちが恥ずかしかった若い時代を過ぎ
私は胸を張って「いなかっぺ」を宣言したい。
あんな素晴らしい環境で育ったことが、私の誇りだ。







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