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イキテサエ イレバイイ


生きてさえいればいい。
カタカナで書くとなんか変な感じがしますね。
とまぁ、こんなテーマについて、ダラダラ独り言を書いてこうと思います。
ちなみに、なぜこんなテーマにしようとしたかというと、頭の中にこんな質問が思い浮かんだからです。

明日を生きるために必要なことは?

そんなことについて考えてましたが、なんですかねー。

身体的な面で言えば、人は酸素がなければ生きることはできないし、水や栄養をとらなければ生き延びることはできないですよね。

ちなみに人間の中で最も重要な臓器の一つの心臓は人の意志とは関係なく、絶えず働き続け、全身に血液を送っています。働きものですよね!
そんな心臓も色々なことが原因で止まりそうになることがあります。
下の図は、心臓が止まりかけている時に、電気ショックで心臓が再度動きだした様子を表してます。

(引用元:http://minnano-iryo.jp/chapter4/03_shinshitsusaidou.html)



この身体の反応は人の意志とは関係なく、身体が生きようとしているんですね。

それでは逆に、人の意志や意識、心理的な側面で明日生きるために必要なことは?と考えてみますと、
夢や目標、希望、家族、恋人、色々思い浮かぶと思います。
夢や目標があるから、日々努力できるし、明日に希望が持てるから今日ツラいことや悲しいことを耐えることができる。
もちろんそうなんです。私自身、ずっとそうやって生きてきました。
夢や目標をみつけ、それを叶えるために必死になって努力してきた、絶対にそこに辿り着くんだと。
自分の根底に今の自分ではない、理想の自分に「なりたい」という思いが強いことを認識し、そこに疑問を持つまでは。

「なりたい」と思うことは、とても大切なことであるし、強烈なモチベーションにもなる。
しかし、どこかで、今の自分を否定している気がしている。今の自分がダメだから、理想の自分にならなきゃいけない!強い思いは、同時に自分自身を傷つけているような気がしてきた。

自分自身と手をとりながら、前に進む方法はないものかと考えたところ、
「なりたい」ではなく、「ありたい」と自分の心を捉えていきたいなと思うようになりました。

あれになりたい、これになりたいではなく、
こうありたいというような心持ちに変わりました。
なろうとするのは、どうしても今の自分とは違う自分になろうとする感覚があり、あろうとするには、今の自分のまま、あるべき姿に自分を持って行くような感覚で、今の自分を受け入れなければいけないですからね。
自分を受け入れることで、他人を受け入れることができる。受け入れることで、人に優しくなれるのかなと思います。

明日を生きるために必要なことは?

身体は生きたいと言っている、その身体の声を素直に聴きながら、自分自身が望むものになろうとするんではなく、あろうとすれば、良いんじないかなーと今は思っています。あとは明日食べたいものを思い浮かべたり、着るとウキウキするような服を買ったりして、小さな希望を見つけていくことなんかなと。

イキテサエ イレバイイ、カタカナにすると呪文のような言葉をみると、ガチガチだった心が少しほぐれてくような気がします。

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