教養

昨日の夜、知人の紹介で、某教育業界のお偉い方と会食に行ってきた。

結論から言うと、めちゃくちゃ素晴らしかった。その約3時間の白熱した会食の記憶だけで、あと2週間くらいブログを綴ることができると思う。そのくらい濃い時間でした。感謝。

教養というのは、なんと素晴らしいのだろう。

僕が大学時代、敬愛していた恩師の方がいる。

大学入学直後、5月か6月くらいだったと思うけれど、その先生の研究室を初めて訪れた時がある。

僕はその時からずっと大学の図書館と自習室に引きこもるような生活をしていた。
何をやっていたのかというと、専門であった物理の勉強をするということはもちろん、むしろそれ以外の領域の学問にものすごく惹かれていて、「あれもしたい、これもしたい」という状態だった。

例えば、文学。
10代の頃、古今東西の智の叡智に触れ、衝撃を受けた時間を5年ほど過ごした少年僕が思っていたことは、

「大学時代は、これ以上ないくらい本を読んで、学問に没頭しよう」

ということだった。文学でいうと、例えば国内文学もしかり、海外のドストエフスキーとか、シェークスピアとか、そういう重鎮の文学に手当たり次第触れていたわけで。

そして、それは現実のものになるのだけど、その下地となる言葉をくれたのが、大学時代の恩師だったわけである。

とある研究棟の確か6階。一番奥の方に、薄暗い研究室があって、恐る恐るそこを訪れたことは今でも強く覚えている。

確かまだ30代という若い先生で、地方出身。大学は東大を出て、大学院までずっと東大という超エリート。
(余談だけれど、TOEICもTOEFLも満点とか言っていたな・・)

その先生が実は、こういう文学とか教養とかにものすごく精通していて、いろんなアドバイスをもらった。感謝しかない。


その先生が大学1年生の前期の僕に、

「教養は、必ず後から効いてくる。ちゃんとやりなさい」

という言葉をくれて、僕の大学時代の4年間があるのだと思っている。


僕が卒業するタイミングで、ドイツに行ったと聞いていますが、元気だろうか。


それにしても、社会人になって昨日ほど、上の言葉の意味を感じた日はなかった。

僕がお会いしたその教育業界の偉い方は、京都大学文学部出身。

「言語と文化」について熱く語っていただいた。
僕は中国語もスペイン語もわからないけれど、多少なりともドイツ語、英語、そして古文がわかる。あの時の勉強がここで活きるとは・・

自分の話でごめんだけれど、研究者でもないのに、あそこまで色々話が盛り上がったのは、結構すごいことだと思っている。自画自賛。笑

それにしても、科学分野にも精通されていて、そういう話も盛り上がりそうだった。
(酔い始めていたから、「今度またゆっくり話したい」となった)


教養って、素敵ですね。

先生、あの意味は昨日、痛いほどに痛感しました。

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