知らん間に卒業アルバムが捨てられてた

それはふとした思いつきだった。
恋人と自分についてのクイズを出し合おうぜ〜なんて最高の企画を控えていたわたしは、ふと自分の卒業アルバムでも見てみるかという気になり、実家の本棚を漁った。確か卒業アルバムやらかつての友人から貰った手紙やら、思い出関係のものは全て一括りになっていたはずだ。そう、普段は決して目につかないが、いざとなったときに手が伸ばせるような下の段に……思い出の品々が……



……ない。


ない。

ない!

卒業アルバムがない!

いや、卒業アルバムだけじゃない、卒園アルバムもない!
ついでに言うなら、わたしが部活を引退するときに後輩に貰った寄せ書きとか、受験のときに仲のいい友人がこぞって渡してくれたカラフルな手紙とか、あと中学時代に授業中にひっそり回し読みしていた読んでいるとこそばゆくなる交換日記とか、全部ない!

捨てられてる!記憶にないけど!

捨てられてると言っても、わたしの家族がやったわけじゃないし、当然、これは怪奇現象的なアレでもない。捨てたのは間違いなく過去のわたしである。
わたしのことなのでわたしが一番わかっている。そうそうわたしはそういうことをしでかす側の人間でしたよねと脳がない記憶を思い出させる。明確に記憶にないが、確かに、わたしはそういう衝動がある側の人間だ。ここでひとつ、部屋の片付けの際にわたしが捨てたと仮定する(実際は仮定とかではなくほぼ確定なのだが)。整理整頓が専ら苦手で年がら年中部屋の汚いわたしは、片付けをすることなどごく稀で、誰かが遊びに来るときか、よほど気分がムシャクシャしたときしかない。そう、こういう人間は片付けができない割にムシャクシャしたときには逆に片付けを始めるのである。どういうことか。これにもいろいろな説はあるが、一説には部屋の汚さは頭の中の汚さと比例しているという話がある。これがもし本当ならわたしの頭は年がら年中とっちらかっていることになるが、わたしは『脳が多動』と言い渡されたこともあるような人間なのであながち間違いでもないと思う。そう、わたしがやけにムシャクシャするとき、ゴミ屋敷と化した頭の中を整理するように部屋の片付けをはじめるのである。

そして足の踏み場もないほど散らかった頭の中をゴミを踏み分け歩きながらわたしは思う。そう、過去のことなど考えたって仕様がないのだ。言わなかったことはなかったことになる。知られなかったことはなかったことになる。忘れてしまったことはなかったことになる。そんなわけないのに、そんな単純にいかないからこんなに複雑な散らかりようになってしまっているのに、応急処置的に目の前にある「過去」という実体を片付けようとして、卒業アルバムに手を伸ばす。これがなければ、わたしが過ごした学生生活の象徴さえなければ、ひとまずはあの頃のことがなかったことになる。そう思ったのであろう。

然しいや待て。

そんなときこそ思いとどまってほしい。
卒業アルバムを捨てても、カメラロールから過去を一掃しても、「あの頃」はなかったことにならない。てか、そういうことをすると「あの頃」は確かにある、なのに忘れる。これはガチで。これは無理な記憶改変を行ったことによるバグのようなもので、現にわたしは高校以前の記憶がほぼない。それなりに親しくしていた友人はいたはずなのに中学の成人式の同窓会で名前を思い出せたのが両手で数えるほどしかいなかったのでこれは本当に恐ろしいことである。
わたしは記憶力が悪いほうではない。多分、やけになってその人を思い出す手がかりを捨ててしまったそのときに、脳が勝手にゴミ箱フォルダに入れてしまったのだと思う。

物そのものだけでない、例えば、なんとなく連絡をしなくなったその友人。嫌いなわけじゃない、なんなら一緒に過ごした楽しかった瞬間は鮮明に蘇るのに、わざわざSNSのアカウントやトーク履歴を消してしまうのは、それを見て記憶を思い起こす度にサジェストに当時の自分が流れてくるからで、その人が悪いわけじゃない。悪いわけがない。去年のクラスでそれなりに仲が良かったはずのあの子に、クラスが替わっただけで何となく話しかけづらくなってしまうのも。わたしの頭の中だけでなんか、良くないほうにがーっと話が進んでいって、勝手に終わったことにして「友達」フォルダから「かつての友達」フォルダにまで移動してしまう。本当は何も起こっていなくて、全部わたしが勝手にやっているだけのことだ。それなのにリセットしてしまうのはわたし本人の弱さである。本当に不甲斐ない。そうやって縁の切れてしまった友人が何人もいる。ごめん。本当にごめん、わたしが不甲斐ないばっかりに……
無理やりに記憶フォルダを剥奪され居場所を失った記憶は頭の片隅に歪に残っている。ふと、もう戻れないのだ、後戻りできないのだと気が付いて心がキュッッッとなる夜がある。
然しまぁ待て、やたらと感傷的になる必要はない。
心の友達フォルダから削除してしまった友達は本当に縁が切れているのか?それ、本当は自分の頭の中だけで起きている縁の使用期限切れじゃないですか?
もう会えないと思っているその人、ほんの少しだけ卑屈な心を真っ直ぐに伸ばす努力さえすれば、久しぶりにまた会お〜よって連絡できるんじゃない?会ってみてあのときと全然変わってたら、昔のように話せなかったら楽しくなかったら、そんでも、新しい思い出を塗り替えたり、そのときを振り返るだけでも別にいいんじゃない?てか、そのときのその人との思い出がやけに輝かしく見えるように、いつか思い返したら眩しく感じるであろう瞬間は、今にもあるんじゃない?今そのとき一緒にいる人をやけにならずに大切にできたら、もうそれはそれで万々歳なんじゃない?

これは卒業アルバムを捨てたい人に対する啓蒙ではない。嫌な記憶を思い起こさせるものなんて、捨てちまっていいと思う。でも、少なからず記憶すらないあの日のわたしには声を大にして言う、捨てるな!卒業アルバムを!おい!一体いつなんだ!?聞いてるか!?

卒業アルバムを捨てるな!!!

あと撮った写真とかトーク履歴とか書いた文章とかも消すな!このnoteも消すな!頼むから!

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