"推し活が代理戦争に使われている理由について考えてみた"という話

"推し活"が代理戦争に使われている感がある。

都知事選にしても、Vtuber応援にしても、バチェロレッテにしても
自分を自分が応援する"何者"かに投影して、その人の代弁者として何かを物申そうとして、攻撃を開始する。

自分が好きなものが攻撃されたと認識したら、本人の代わりに徹底的に反撃する。本人は攻撃と感じていなくても、ファンが感じたら反撃する。さらに、ファンは本人の代わりにやってあげてるから、構造がややこしい。

子供同士の喧嘩に親が出てくるパターンにも似ている。
後は、学校で無口な友達の代わりに物申してあげる友達にも似ている。
全体を通して、推す相手のことを庇護すべき対象と考えている部分が共通しているのかもしれない。

「庇護(ひご)」の意味は、他の人を保護し、助けることを指します。
具体的には、弱い立場の人や困っている人を守り、支える行動や態度を意味します。例えば、親が子供を庇護する場合、その親は子供を守り、必要な支援を提供します。

本来的な庇護の意味では、庇護とは自分よりも弱い立場の人を守ったりする行動である。
なので、親とか強い友達ならわかるが、one of themのネット民が庇護する意味はよくわからない。
ここの心理的な変化が問題な気がしている。
問題というのは、昨今Xを中心に、やたらと叩きあう文化を指している。

この仮説としては、ネット投稿が強烈な武器になってしまった、というのが背景にある気がする。
ネットで叩くという行為が、人を殺める武器にもなるし、メディアや芸能人を黙らせたり謝罪させる武器にもなってしまっているという点である。

本来はネット投稿は攻撃にはなり得ないのだけど、様々な出来事が積み重なった結果、ネット投稿は強い武器として機能するようになってしまった。
イメージでいうと、子供が水鉄砲を持ち歩いて街中で使っても、ほとんどの場合危害を加えられることはないが、その水鉄砲をなにか特別なものとして様々なメディアや企業や人が反応してしまうことで、ただの水鉄砲だったのに、本物の銃のような扱いになってしまっている感覚である。

もちろん、大量の人間から罵倒を浴びせられる人のケアは必要ということは前提として、ただの水鉄砲を変に意味付けしない方が良いのかもしれない。


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