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志を振り返る! 幼少期編

上記の続編です。

前回は、【エピソード1 18歳~36歳 青春雄飛編】を中心に、開祖が生きた激動の時代を振り返りました。しかし、この時代だけでは、本当の志を理解することには、まだまだ足りなかったということが今回のエピソードでわかると思います。

多くの人にとって、幼少期の経験は、人生に大きな影響を与えます。

これは、中野少年にとっても、例外ではない。しかし、不遇の時代の中から本当の幸せというものを実感し、正義感の種(力愛不二の精神)を養っていくのでした。

【エピソード0  0歳~18歳   幼少年時代編】

①1911年(明治44年)2月10日岡山県に生まれる。(現美作市)

大正時代の山間の集落、、、、

「鬼滅の刃」を思い出しちゃいました。妹想いのところとか実は、共通項が多かったりするですよね〜。

さて、理男(宗道臣)は、母の実家に生まれるも、出生届に父の名はなく、母方の祖父光辻安太郎の孫として入籍し、実父は、福岡出身の税関吏で、神戸の女学校に通う母(吉野)と出会ったそうです。

この大内谷の光辻家は、播州白旗山城主赤松円心の孫、光範を祖とする古い家格をほこり、天領の領主として、苗字帯刀が許されていたほどでした。また、宮本武蔵の新免家とは親族でもあったそうです。

②1919年(大正8年) 8歳 義父 理一の死
 
4歳の時、母が再婚。以後、中野理男となる。父の職の関係で、主に北九州の地を転々帯同する日々。その最中、2人の妹が誕生するも義父は、深酒がたたり、胃潰瘍が原因で29歳でこの世を去ります。

そして、義父の死後、4人で母の実家、大内谷へ戻ったのは、母30歳 理男8歳 長女4歳 次女2歳のときであった。8歳の理男は、代用教員や針仕事など、昼夜を問わず懸命に働く母を助けるため、2人の妹の面倒を見ながら、小学校へ通い、炊事洗濯掃除などの家事を毋にかわってこなすのでした。

のちに、当時を回想する宗道臣(理男)は、「生活は貧しくとも、母を中心に家族4人が肩を寄せ合い、助け合い支えあった2年あまりだが、生涯の中でも最も心豊かな思い出として、心につよく生きている。」と語ったことから、平和に対する切望、愛の原点をここにみることができます

③1922年      11歳 乳母車事件 〜正義感の芽生え〜

理男の幼少は、女の子のように大人しくて、優しい子だったという話とわんぱくぼうずだったという話があるのだが、それはどちらも正解ともいえ、印象が180度ガラッと変わる契機となったのが、この乳母車事件で、正しいことを正しいと主張し、自らの行動と力で証明したことで、大きな自信を得て、一気にたくましく成長したのでした。「力愛不二」「愛なき力は暴力、力なき正義は無力」の原点がここにあったのでした。

🔻続く



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