地に足をつけた者の気づき
急に、神社へ行きたくなることってありませんか?
たまに、呼ばれていると謎の発言をしている方もお見かけします。
どうしてなのでしょう?
実際には、着くまでの道中に、何かしらの気づきがあるものです。
神社で手を合わせた時には完了しているものです。
神社に呼ばれたと言って、遠足気分で行かれる方もいらっしゃるますし、パワーをいただける〜と喜んでる方もいらっしゃいます。
本当にそうでしょうか。
神社に行きたくなるとか呼ばれている感覚があるのは、
何か驕りがある時かやらなければならないことをやっていない時です。
地に足をつけていないから呼ばれるものなのです。
向かう道中で、少し前の過去を思い出し、振り返りがあるはずです。
そして、
「わたしは、あなたに、出来ないことは求めてはいないよ」
という声が胸に刺さるはずです。
神様は、私たちに、出来ないことは求めてはいないのです。
それをなんらかの理由で出来ていないから呼ばれるのです。
そうでないときは おいそれとは呼ばないものです。
何故なら、地上で世のため人のために生きていたら、神社にわざわざ来させて、仕事を遮るようなことはしないからです。
神様は、溜まりに溜まり兼ねているから、呼ぶのです。
神様とは、そういう存在ですよ。
それを、したり顔で奢った態度で手を合わせて、
パワーを感じる!
と、宣うのは、違います。
バカにつける薬はないな、と、そのうち呼ばれなくもなるでしょう。
着くまでの道中で、
こんこんと、「何かしていないことはないですか?奢ってはいないですか?」
と言われているはずです。
そこに気づき、
自分自身や周りの方々や神様に謝罪の気持ちがわき、
その場についたら、頭をもたげることは出来ないでしょう。
そこで やっと、手を合わせ、謝罪をするのです。
神社とは、本来なら そのような場所なのですよ。
遊び半分で行ける場所ではないのです。
それが、地に足をつけている者の気づきです。
覚えておいてください。
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