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聖なる密林の冒険

お久しぶりのnote。

はてなでもブログをやってるので(おのにちも宜しくね)こちらとブログの切り替えが上手く出来なくてよく悩んでいます。
そもそもメインの方も今月は仕事がバタバタしててなかなか書けてないし。
記事の下書きはたまってるのですが清書する時間がない、うーむ。

今日はとにかく思いつくままに書いてみる、という実験です。
起承転結…ってなんだっけ?

noteとブログの違いってなんだろう?noteに何を書いたらいいんだろう?と考えた時に一番先に浮かんできたのがnoteの自由さ。

アドセンス広告が無いからグーグルからの厳しい規制が無い、はてなブログPROみたいに月々のブログ代もかからない。

それからnoteの方が読者数が少ないということ。あっちは積み上げてきたコンテンツだったり、毎回読んで下さる方が僅かながら増えてきたから、どこかで無駄な力が入ってしまうのかも知れないです。

いや、全部自分で望んでつけた枷なんですけども。
必要だから申し込んだはずなのに、時々縛られてるように感じるのは身勝手な話。

note、というと中学生の頃毎日びっしり文字や絵で埋めていた手書きのノートを思い出します。

あの頃は友達が居なくて、パソコンも普及してなくて、いつか物語を完成させて投稿しよう…なんて思いながら、誰に読ませるわけでもないプロットや切れっ端を自由に書き綴っていました。

小説も書きましたが滅多に完成しませんでした。
自分の一番描きたいシーンだけ書いて終わり。そこへ至るまでの道程や、矛盾点は全部無視です。

今考えるとあの頃の物語はみんな、友達のいない私を幸せにするために書かれた「強く優しく完璧で皆に愛される」俺TUEEE!の物語でした。

ラノベは主人公無双ばっかりだな、ってよく言われますけど、私はそれでいいんじゃないかと思っています。
メインの読者は中高生(今は少し年齢層高めのレーベルもあるけど)。
誰かとの差や順位、カーストに一番縛られているのは学生時代だから。

そうやって「比べられること」に日々傷つく時代くらい、無双の自分を夢見たっていいじゃん、と私は思います。
ファンタジーは傷つきやすい時代を生き延びるために必要な逃避なんです。

話が逸れました。
とにかく、そんな風に好きな断片だけを綴る時代を経て、ようやく友達のできた高校時代。私は友達に見せるためのノートを書くようになります。

自分の投影や、ご都合主義は鳴りを潜め、短いけれどつじつまが合う、笑ったり泣いたりして貰えるような物語。

そうやって、身近な誰かと楽しめる物語を書くのはとても楽しかったです。
友達だから完成度が低くても喜んでくれて、その後の展開を一緒に考えたり。

高校を卒業して、書くことをずっと忘れていた私が再び手に入れた最初のノートがブログ。
高校の同級生全員より沢山の人が読んでくれるから、批評はかなり厳しい。でもだからこそ、時折の褒め言葉が嬉しかったりします。
誰かに追いつきたいと切磋琢磨したり、セッションのように書いていくのも楽しい。
まだまだこれからですが、少し書ける幅が広がったと感じています。

そして最後に手にした文字通りのnote。
ブログより少しひっそりとした、どうでもいい感傷じみたことを書く場所にしましょうか。
一番最初の断片ノートみたいに。

自分のために書く自分の物語。

そんなキーワードで浮かぶ人の名前はヘンリー・ダーガー。
掃除夫だった彼はアパートの一室で19歳の時に自分のための物語を書きはじめます。執筆期間はなんと60年。

誰にも見せない自分のためだけの物語を、ダーガーは1万5000ページ以上、300枚もの挿絵もつけて書き続けていたのです。

ダーガーの物語はあまりにも長大すぎて、テキスト全文が刊行されたことはないそうです。
私も、図書館で借りた「非現実の王国で」という本で物語の断片に触れただけ。一冊7000円もする大型本なので、なかなか購入する勇気が持てず図書館の片隅で何度も読み返しています。

「非現実の王国で」を読んでいると、彼の物語はまるでジャングルの奥地に隠された神殿のようだと思うのです。

深い深い緑の密林の奥に隠された美しい神殿。きれいなだけじゃなくて、怖くて理解し得ない部分もあったり。こんな風に今でも人を惹きつける物語に誰より魅せられていたのはもちろん著者その人。

だからこそ飽くことなく一つの世界を書き続けられたのでしょう。

あんな風に豊かな神殿を築き上げるのは難しいけれど、私もいつか森の中の小さな庭のような文章が書けたらいいと思っています。

そうすれば、たとえ誰も読んでくれなくても、飽くことなく書き続けられるような気がするんです。

いつか『誰かに読まれる場所で』書くことは辞めてしまうかもしれません。

それでも、一番最初の紙のノートみたいに。書くことが出来なくなったら脳内でもいいから。

ずっと隣で励ましてよね、私の物語。
水も肥料も上げるから。

救貧院で目を閉じたヘンリー・ダーガー。
きっと最後に迎えに来たのは彼の描いた、彼しか知らなかったヴィヴィアンガールズ。それは豊かな想像の中の密林。

そんな場所がいつか欲しいなぁ、と今も書き続けています。

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