小学校高学年

小学校4年生…
ようやくここで…
少年団というものに入る。

いつも一緒にサッカーしてた同級生が
入ってるという少年団に
体験をしに行くことに。

今の時代を考えれば
10歳でちゃんとサッカーを学び始める…
これは中々ないことかもしれない。

サントス佐山という少年団…
はっきり書くと…
強豪とかという類いのチームではなかった。

まずは
リフティング…ここから始まった。
インステップ…インサイド…アウトサイド。
そういう基礎から学んでいった。

チームの人数自体は少なく…
20人いなかったと思う。
練習も水曜日、土曜日、日曜日と…
多くて週3度…
今みたいに…スクールをいくつか掛け持ちという時代ではなかったから…。

小学校5年に上がると…
もともと同年代が2人しかいなかったのが…
チームに入るきっかけを作ってくれた同級生が辞めたことにより…
自分1人に…
必然と…
このチームでサッカー出来るのはラスト1年となった。

今だから笑って話せる話が
すでにたくさんあった笑
今の時代ならアウトな事も…正直あった…

今思うのは
よく続けたなと…
ここでサッカーを嫌いになってもおかしくなかった。

5年生…
ここが自分のサッカー人生において…
ひとつの分岐点かもしれない…

当時…
南山城支部選抜という支部選抜があり…
まさかの自身がそこのセレクションを受ける事になるという…
落ちるであろうと思っていたら…

あれよあれよ…どうしたものか…

合格してしまった笑

支部選抜というのは
その先に…
「京都府トレセン」
というのがあり…それに続く最初の入り口。

この5年生の1年間…
環境が目まぐるしく変わった…

セレクションにつぐ…セレクション…。
一歩ずつ、一歩ずつ階段を上がっていく。

しまいには…
京都府トレセンの最終選考まで残った…。

この時…
強化指定選手+韓国遠征メンバー
強化指定選手
補欠

この枠組みで組まれていた。

もちろん…立ち位置は…

補欠選手。

自分には十分すぎると思っていた…
周りは他のチームの中心選手だらけ…

もちろんその中には…

「家長昭博」もいた…

オーラが違う…ずば抜けた存在。
そんな中…
まさかの…合格。

驚きと興奮を隠せなかった…
何より…
素直に嬉しかった。

そんな5年生の終わりに…
在籍したサントス佐山が消滅することが決定。
6年生の卒団により…
1人しかいなくなり…存続が出来なくなった。

幸いにも…
引く手があり…
FC鷲峰の練習に何度か参加したが…
結局…
当時のコーチの一存で
コーチの昔に所属した
京都城陽SCという少年団に入ることになった。

チームが決まった後に…
自身が…引く手数多になるなんて梅雨知らず…

その中には「家長昭博」もいた
長岡京SSもあったと…のちに聞かされた。

6年生になり…
月曜日は京都府トレセンのトレーニング。
水曜日、土曜日、日曜日は京都城陽のトレーニング。
基本的にはこのサイクル…。

当時の京都城陽のトレーニングは
中々衝撃的なものであった。

ヘディングを武器にしているチームということで…
(わたくしは…今でもヘディングは苦手で嫌いです笑)
コーナーキックの練習からスタート。
その他は中々今となってはバラエティに富んだ練習でしたね笑

ここでも
今の時代ならアウトな事も
本当にたくさんありました。

そんな日々が…
気付けば…若干12歳の身体を蝕んでいた…

ある日…
後頭部に結構な大きさの円形脱毛症が…

確か…夏過ぎの9月とか10月かな…。

ストレスが原因…
原因はもちろんサッカーでした…。

12歳…
この年齢でサッカーがストレスで円形脱毛症。
これは…本当に辛かった。

確かに当時の指導方針とかで
いろいろ悩んだり…あったが…

知らん間に自分の身体が…
そこまで蝕まれているなんて思ってもみなかった…。

苦渋の決断…。
人生ではじめてのサッカーを辞めるという決断。

少年団に
まず辞めさせてくれと言いにいった…。
当時の監督には断られた。
やはり…府の選抜選手だからであろう…

ここでまた…決断をする…
練習にも行かず…試合にも出ないという選択。

府のトレセンの練習だけ参加した。

当時の京都の少年サッカーは
夏にセレマカップ。
冬にサンガカップ。
があり…サンガカップを謎の欠席。

府のトレセン選手が…謎の欠席。
京都城陽SCを卒団しないまま…
小学生年代のサッカー生活を終えた。

まー今となっては全て笑って話せます。

決して誤解して欲しくないし
コーチの名誉の為に書きますが…
サントス佐山のコーチ…
京都城陽SCのコーチ…

今仲良いです笑

ここ数年…
京都城陽SCの初蹴りも参加してます。

当時のコーチ達もそのままいてくれたので
当時の話をお互い笑って話してます。
もちろん今の京都城陽は違います。
昔みたいな事は一切ないし…
話をしていて…
凄く良い指導をしてるなーと感じたし…
色んなことを勉強して選手の今後を考えながら指導してらっしゃいます。

ぼくはコーチに…
「あんな形で終わってしまって…
ここに来ていいのかわからなかったけど…
またこうして…月日が経って…大人になって…プロになれて…戻ってこれてよかったです。」

そしたらコーチが
「来てくれないと思っていたから逆に来てくれて嬉しかった。
優斗の経歴に京都城陽SCというのを見る度にありがたいなと思っていたよ。
あの頃は申し訳なかったなと思ってる。」

という言葉を聞いた時…
凄く長い年月がかかったけど…
戻ってこれてよかったと思いました。
それから毎年…
初蹴りに参加させて頂いてます。
コーチ達に会うのを凄く楽しみに。

この場所に…
戻ってくるのに21年かかったけど…。

12歳の自分…。

まさかのサッカーがストレスになり…
サッカーから離れる決断…

そしてまた新たに…
中学校への門を開ける…


長々と読んで頂きありがとうございました。

次は中学校での3年間を
書きたいと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?