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放送大学で啓蒙されている話

僕は全日制の大学に行ったことがない。
20代はずっと大学に、キャンパスライフに憧れていたけれど、30を過ぎたら諦めがついた。30過ぎてキャンパスライフもないだろと。
幸いなことに学歴で不当な扱いを受けることも無かった。
それでも手に職をつけたいな、と思っていた。
色々調べていたら、放送大学と院で臨床心理士の資格が取れることを知り、学費も安かったので気軽な気持ちで入学した。

放送大学はかなり自由に科目をとっていい大学で、心理コースに入学したが、社会系の科目もとってみた。
西澤晃彦先生の「人間にとって貧困とは何か」という講座だ。
素晴らしかった。
柳田国男の「貧窮を忍び能わざる心」という言葉の紹介から始まり、「まなざしの地獄」を読み解き、ネットで総叩きにあっていた貧困女子の考察……等々
貧者の尊厳についての講座だった、と僕は解釈している。
尊厳を踏みにじられるとどれだけ痛いか、僕はとても共感した。
この講座以来、マズローの欲求段階理論を用いている本を信用できなくなってしまった。

心理以外の科目のほうが面白くなってしまい、僕は社会と産業コースに変更した。
高橋和夫先生が教授陣にいることに興奮したり、学んでみたかった経済学をやるべく数学の初歩講座をとったりした。英語は一期に一講座とると自分に課して、ロシア語もとってみるか、と血迷ったりした。
どの講座も面白い。
今も家から一番近い文京学習センターに通い詰めている。
文京学習センターの客員教授に小野塚知二先生がいることに驚愕した。
ちょっと前にこの先生の本を借りていたのだ。

今のところ放送大学で一番採ってよかった科目は哲学だ。
魚住孝至先生の「哲学・思想を今考える」を読んで、思想史の末端を触れることができた。
特に西田幾多郎が好きだ。日本人という贔屓もあるかもしれないが、彼の思想は西洋哲学より、なんというか肌に馴染むような感覚があった。
今、秋富克哉先生の「原初から/への思索」という、西田幾多郎とハイデガーの比較対照の講座を採ったのだが……まっっったくわからない。
わからないことが面白くて、西田幾多郎とハイデガーの解説本を読み漁っている。
あと、哲学を勉強すると数学が勉強し易い気がする。
頭の使い方が似ているのだろうか、今やっている「入門微分積分」も哲学の後だと少し理解が早い気がする。

放送大学の科目の難易度が、他の大学と比べて高いのか低いのかはわからないが、少なくとも僕にとっては丁度いい難易度のようだ。
だからとても楽しいし、勉強になる。

ただ、全日制の大学へ行くことの重要さも理解できるようになってきた。


とある人のnoteをよく拝見している。
彼のnoteは単語をとても適切に使っている、と感じる。
彼の記事の内容は、僕から見て難しい言葉遣いをしているが、一字一句丁寧に読むと、言わんとすることが明瞭なのだ。
ちょっと引用してみます。

『非対称な関係、というのは必ず権力関係となる。であるから、そのpowerが下の方が上の方に物申すのはいちが、上の方から下の方には物申すことなどできやしないのだ。それは、そんなことをしたら、人間存在の力(power)により、殺されることを恐れるからだ。
その非対称な関係を捨て、対象的な関係、フラットな関係にいようとするのは、下から上にのみ通用する論理で、上から下がそれをやれば一度蔑みである。
ここで、上下というのは、社会的地位という、あの、理性により作られた観念的階層のことであるから、人間存在における力学的地位とは異なる。だから、殺されまいと、タワマンの高層階に住む。』

特にラスト3行の言い回し。こんな文章は僕の力量では書けない。
けど、はっきりと言いたいことが伝わる。
ラスト3行は、
上司が部下を侮辱するのはできるけど、その上司さんが所謂無敵の人を面と向かって罵倒するのは怖いよね。そして部下さんが無敵の人かもしれないよね。という意味なんじゃないかと思う。(間違っていたら恥ずかしい)

じゃあその彼は、どうやってこういった思考や文章を会得したのか。
勿論彼自身の能力も高いだろうが、僕はそれは全日制大学にも一因はあったんじゃないか、と思った。
全日制大学で実際に同級生や先輩、先生と議論をすることで沢山の学びがあるのだろう。考えや表現の仕方に失敗もあったろう。
そういった切磋琢磨は人を鍛えてくれる。当たり前な話ではあるが。
放送大学では、人との関わりは全くない。
卒業論文はあるが自由選択だし、論文の指導も二回だけだ。

学問をする、という意味では全日制大学はいい環境だ。
放送大学で学んでいて、そう思う。

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