見出し画像

【小説】出会いが旅の宝 〜湯布院町を訪れて〜

僕は2年前、九州は大分、湯布院町に一人旅で訪れた。湯布院は天然温泉で有名で観光名所としても名高い。毎年全国各地から多くの観光客で賑わう町だ。

湯の坪横丁は、老若男女からグルメ通りとして特に人気なスポットである。そこで売られている温泉で蒸した卵からつくられたプリンは特に絶品で、多くの観光客が目当てに訪れる。

この町に人々は車や電車、バスなど様々な交通手段でやってくる。僕は大分空港からバスに1時間ほど揺られてこの町にやってきた。広大な由布岳の盆地として位置するこの土地は涼しく過ごしやすい。バスを降り立つと心地よい風が僕の髪を揺らす。都心の空気とは違う澄んだ空気に自然に笑みが溢れた。

「さあ、まずは定番から」

人々が進んで歩いていく方向に地図も見ずに進んでいく。道の左右には、観光客の目をとめるには十分な魅力的なお店が立ち並ぶ。カップルや家族ずれが立ち止まる中、僕はずんずんと歩を進めていく。

僕はこの町の自然に触れて綺麗な景色を見にきたんだ。笑顔で店に立ち寄る観光客を横目にずんずん進む。湯の坪横丁を抜けると木々が立ち並ぶ公園があり、その先には金鱗湖がある。魚の鱗が夕日に照らされて金色に輝くのを見て「金鱗湖」と名付けられたとされる湖だ。ここはいい。目の前に広大な山々が広がるなか波も立てずに静かに揺れる湖。湖といってもせいぜい半径500mくらいで限りが見える。風情がある松など風情漂う木々もたち並ぶ。これぞ観光名所と思うほどには綺麗で静謐な景色がそこには広がっていた。

不意に電話が鳴った。

「はい、もしもし」

予約していたレンタルサイクリング屋からの電話だ。ゴールデンウィークで道が混んでおり予約していた15時を大幅に過ぎるそうだ。僕はこの広大の景色に後押され「全く気にしない」と答え、進捗を待つことにした。

それから、時間を潰すためにも周辺をさらに散策することにした。1時間ほど歩き回っていると疲労も感じてきた。普段デスクワークで運動することも少なく、さらに今回の旅の荷物が入っている荷物一式をリュックで背負っているのだ。非日常の広大な景色に感化され、感覚が麻痺していたけれど、重いものは重い。肩も凝ってくるものだ。さらに一向にかかってくる気配がしない電話。

「ふぅー、ちょっと腹ごしらえだ」

沈んできた気持ちを切り替えるためにもおいしいものを食べることにした。
カップルが吸い込まれていくプリン屋さんを尻目に僕は目に入ったうどん屋さんに入った。湯布院でうどん。有名なのかは知らないけれど僕はここに決めた。中に入ると作業服を着た人が数名。スマホで料理を撮影している人たちはいなかった。

「へい、らっしゃい!」

後悔の念がでてきそうだった時、顔をくしゃっとさせた笑顔なおじさんが僕を迎えいれた。

「おすすめは何ですか」

「うちの人気はこの肉うどんだぜ」

笑顔いっぱいで教えてくれるおじさん。僕はこのおじさんを信じることにした。

「では、肉うどん並をひとつ下さい。」

「並、1つ!!
 できたら呼ぶから取りにこいよ。」

僕は了解しつつ席に座る。席に着くと撮り溜めた景色の写真を眺めて待つ。
普段は写真をとらない僕でも、スマホのアルバムには綺麗いな景色がおさまっていた。

「にいちゃん、できたぞ。」

撮った写真を満足に見ていると店によく通る声で僕を呼ぶ。
早いな。と内心で思いつつ席をたち肉うどんを取りに行く。

「にいちゃん、大盛りにしといたぞ。いらなかったら残せ」

またも豪快な笑顔と共にサービスをしてくれたと言うおじさん。

「ありがとうございます!」

僕は、丁寧にお礼とともに感謝を伝え席に戻る。
ざるに盛られた岸麺みたいに平べったい麺。湯げをたたせた丼の肉出汁。ネギが小鉢で提供されているのはポイントが高い。つけ麺的なのりで食べるうどん。店に入った瞬間感じたネガティブな直感は大きくハズレ、見た目も味も格別だった。こんなに美味しい肉うどんは、はじめてだった。

格別のうどんを食べ終わると、ちょうど電話が鳴った。

「ほんとごめんな。まだ時間大丈夫か?今からそこに向かうな」

しわがれたおじさんの声で申し訳ない思いと共に迎えに来てくれると言う。
それからそれ程時間もたたずにここからほど近いコンビニで落ち合うことになった。その頃、時間は既に16時半を過ぎたころ。横丁は17時でどの店も閉店するため最後の追い込みをかけているところだった。

レンタルサイクルも17時が営業終了時間である。少しの時間でもいい。ちょっとでいいから体験できたらいいなと思って僕はしわがれた声のおじさんを待つ。すると、紺色のバンが駐車場に止まった。バンからはタバコを咥えたおじさん、いや、おじちゃんという感じの人が降りてきた。

「にいちゃん、電話のにいちゃんか?」

「レンタルサイクル屋さんですよね。たぶん僕が電話のにいちゃんです。」

「そうか、会えてよかった!」

そのおじちゃんは満面の笑みで片手を僕にむけ、そのまま握手をする。

「遅くなって本当にごめんな。遅くなった分特別に最高なコースを案内してやる。」

待っているときは、待たされていたことに文句のひとつでも言ってやろうと思っていたけれど、このおじちゃんの人柄にあてられ、そんな気持ちは吹っ飛んでいた。

「本当ですか! それは嬉しいです。」

僕も満面の笑みでおじちゃんの心意気に応える。
おじちゃんは以外にもてきぱきとした段取りで必要な手続きを済ませ、僕を車に乗せた。予約したプランは由布岳の山中まで車で案内し、そこで自転車をおろし、盆地である湯布院駅まで一気に下るというコースだ。特別なコースというのは普段は山中で降ろすようだが、この時間夕日が綺麗に見える、もうすこし先の場所まで連れて行ってくれるという。さらに、本当なら17時までだけど、19時まで使い放題にしていいそうだ。

「これはおまけだからな。ネットには書き込むなよ。」

またしても顔をくしゃっとさせて笑顔で言う。目的地まで辿りついてからも、あそこで一度止まって景色を楽しむといいなどと、聞いてもいないことまであれこれと教えてくれる。

「じゃあ、言い旅を! 元気でな! 楽しんでいってくれ!」

車のウィンドウを開けクラクションを「プッ」と鳴らしながら大声で叫ぶおじちゃん。僕も眩しい日差しで目を細めながらも、体全体で感謝を伝えるようにおじちゃんに手を振った。

「親切にどうもありがとう!」

由布岳から見下ろす湯布院町の街並みの景色。広大な山々が広がる西の空に落ちる夕日。自然の中をマウンテンバイクでかけ下りる爽快感。途中で見つけた立ち寄り湯。予定通りだったら体験できなかっただろうこの気持ち。旅は予期せぬトラブルが醍醐味とは、正にこのことだろう。

僕が2年前、一人旅に行った目的は、美しい景色をみて心洗われること。あわよくば、プライベートで抱えたモヤモヤした気持ちを前向きな気持ちに切り替えることだった。そのために美しい景色を見たいと思って旅をした。旅をして今も心に鮮明に残っている記憶は、綺麗な湖でも広大な山々に広がる壮大な自然でもなかったことに僕は驚く。いや、確かに綺麗で非日常を感じられ、とてもよかったと満足しているのだ。しかし鮮明に記憶に残っていたのは、大盛りはサービスだといってくれたうどん屋のおじさんの笑顔。言い旅をしろよと豪快に笑ったおじちゃん。僕の記憶に残っていたのは人との出会いだった。今度は誰かとあの場所へ。最高のあの場所へ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?