ナルシスト

ナルシストという言葉は、悪い意味で使われることがほとんどだと思う。
実際、語源であるナルキッソスは呪いでそうなっているし、破滅的な結末であるからそれも仕方ないかなとは思う。
ただ、少なくとも日本において、ナルシストが敬遠される理由は他にあるんではないかな。
「謙遜」が美徳とされるところとかもあるけど、結局のところは、足並み乱すやつが気に入らないって事なんだと思うんだよねー。
そして自分が虐げられてる、我慢してると思っているから、そうじゃない自由な姿に嫉妬し、足を引っ張ろうとするのよね。
そしてそのナルシスト警察は、かなり敏感で、面と向かっては言わなくても、本人のいないところだったりとか、SNSだとかで些細なことでもあげつらって否定する。
まぁそういう行動をする方々はそれに限らずやるけどね。
その一瞬はマジョリティに混ざって間違いを正したつもりで気持ちいいかもしれないけど、それこそドラッグみたいなもんで、根本的解決は何もせず、一瞬気持ちいいだけで自身を蝕んでいくんだけどね。
他人が何やってるとか、何が好きとか、まじでその人の勝手で、直接的な被害を受けていなければ、何を言う権利もないんよね。

話をナルシストに戻すけど、ナルキッソスばりに自分にダメージがあるような形じゃなければ、どんどんナルシストやった方がいいと思うんよね。

前提として、世界の見え方や在り方は人の数だけあると思ってるの。
例えばムスリムの方とそうでない方では、豚肉料理出された時の反応が違うよね。
同じ職場や学校等の団体に属していても、皆同じ考えではないよね。
そして自分の中だけでも、同じ物を見ても、その時の自分の状態で全然違う印象を持ったりするよね。
そしてそれらの文化や常識や出来事に対して、受け入れる選択をしているのは自分なんだよね。
イヤイヤながら何かをやっていたとしても、他の何かを天秤にかけて我慢してやる選択をしているのも、自分なんだよね。

であるなら、自分の都合の良いように、望む形にとらえていった方が、人生楽じゃね?
だから周りがなんて言うかはどうでも良くて、自分が心底から自分の選択が良いと思えれば、それで良いんだよね。
その時に気をつけたいのは、論拠はあくまで自分であること。
誰かがこう言ってたから、とか、常識的にこうでしょ、みたいに他人を論拠にすると、前述のナルシスト警察ばりに不毛な話になってしまうのでね。

自分自身が自分の価値や可能性に制限をかけまくっていたことを改めて自覚したので、これを書いた。
今までそう言う制限ムーブをずっとやってきたせいで、クセがなかなか抜けないんよね。
でも焦らず、そういう自分も許しつつ、純粋な自分の考えを聞きつつ、楽しくやっていきたいなぁと思う。
自分が尊いものであることを思い出して、自分を愛して、ナルシストやってこう!

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