自虐ネタは超危険

みんな自虐ネタって使う事あるかな?
日本人的発想だと、意識するしないは別として、使う事って多い気がする。
いやいやー、私なんて◯◯でー、みたいな。

それがいかに危険なものであるかを思い知った。さっき(笑)
↑これも一種の自虐ネタかも、今まで知らなかったバカな私ですー的な。

さておき、自分は人生において自虐ネタをめちゃくちゃ多用してきた自覚がある。
集団において、他人の警戒心を解くためには、自分が無害で安全な存在である事をアピールするのが有効だからだ。
そのために自虐ネタはすごく便利で、場を面白くしつつ自分を下げることで安心を与えられる。
だから人と表面上仲良くなるのはすごく得意だった。
そして他人にそぐって懐に入っていくから、自然と集団の中心人物になっていく。
でもある日全部面倒くさくなってフェードアウトする。
それは自分の本質と違う事をしていたから。
そんなことを繰り返してきた。

自分が使ってたのは、
・デブ
・低学歴
・アウトロー
・ゲーム狂い
・頭悪い
・大した仕事してない
こんな感じ。

で、なんで自虐ネタが危険かと言うと、
最初は前述のように便利なツールとして使っているはずなのに、自分が言葉にして出す事によって、自分がそれを聞いてしまうから。
それによって、本当にそうなんだと思ってしまうから。
この時に客観的事実なんて関係なくて、自分がどう思ってるか、だけの話ね。
「言霊」って言葉があるように、自分が発する言葉の影響って、思った以上にでかい。
不平不満や呪詛を吐いてる時に、気分いい人っていないと思うんだよね。
逆に気持ちが暗い時でも、感謝や前向きな言葉を口にする事だ、気持ちが上向くことってあると思う。

実際さっき挙げた自虐ネタの中で、デブって言い続けてた時は本当にデブだったし、いい加減それに嫌気がさして痩せた時に、なんで自分が嫌な言葉をあんなに言ってたんだろ、ってすごく不思議だったんだよね。

そしてさっき、自分が仕事方面に対して不安に思ってる気持ちは、自分が大した仕事してない、って思ってたし言ってたし、自虐ネタとして扱ってたからだ、って気付いたの。
だから一生懸命自分を説得して、いやいや、ちゃんと仕事してるじゃん!とか、いつもやってることはすごく大変だし頑張ってるよ!とか、誰でも出来る仕事じゃないし他人に何言われても一生懸命やってるよね?とか、やってみたの。
そしたら慢性的にあった不安が、さらーっと減っていくのが感じられたんだよね。

親兄弟とかも含めて、他人は自分じゃないから、それぞれ自分の人生を生きてるわけよね。
だから他人の価値判断とかジャッジは、いくらでも変動する不安定なものなの。
もちろんすごく有用な気付きをくれる人もいる。
でもそれは、自分に受け取る準備が出来てないと受け取れないの。
だから、まず自分で自分の価値を手放しに認めてあげることが大事。
自分で気付けていなかったようなことでも、実は日々やってることが素晴らしい事だったりするのよね。
それはどんな小さなことでもいい。
なんでもいいから、自分がそうかも…?って少しでも認められるところからはじめてみよう。
習慣にしていくことで、だんだんそれも上手くなっていくからね。
まさに自虐ネタと同じで、言い続けることで自分をその気にさせられるんだよねー
発する言葉ってほんと大事。

ちなみにこれを気づくきっかけになったのは、久々に会った友達との会話と、ちょいちょい深い話が出来る親友との会話からでした。
本当に周りの人達に支えられて生きているなって実感すると共に、
現実の出来事の何が変わったわけでないのに、自分の認識が変わることが、これほど世界を変えるんだな、というのも再確認した。
そしてこの認識の変化は、現実を容易く変えていくと言うことも、とても納得出来た。

もっと自分を褒めて、認めてあげようと思いました☀️

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