絶望している暇なんてない

結局、たどり着く答えはいつも同じ。
「努力するしかない」
これ以外に、幸せになる方法など存在しない。

どんな不条理に直面しようと、それを受け入れて生きていくしかない。それができないならば、死を選ぶだけだ。

嫌なことがあって死にたいと思うこと。
それこそ「努力不足」に他ならない。

生きようとする努力を怠るから、「死にたい」などという甘えがでてくる。

被害者を演じられている間は心地よい。
「自分は悪くない、悪いのは他人だ、世の中だ、政治家だ」

自分を悲劇のヒロインだと誤認し、悲劇という安酒に酔う。

被害者を演じている限り、あなたの「死にたい」と思う世界は、さらに「死にたい」ものになるだけだ。

自分の選択に、自分の人生に責任を持てなければ、変えられるものも変えられない。

絶望している暇なんてない。
目標を立てて行動するしかない。
そして、その方向に向けて努力するしかない。

それこそが過去の自分に一番伝えたい言葉。

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