8547

生まれてから8547日目になる。

そろそろ進路の話をしようと思う。

個別指導塾で4年働き、新幹線の客室乗務員を経験したのち、今では予備校で英語を教えたり、高校で「探究」の授業をしている。ただ、こうした生活は今年度限りとしたいと思っている。

来年度からは、「社会人への教育」をテーマに動き出す予定だ。
なぜか。
高校生の指導を行ってきた私がどうして「社会人への教育」に関心を持っているのか。

理由は2つある。

1つめは社会的な理由。
学びが必要なのは、子供も大人も変わらない。
ただ、大人の方がずっと学ぶ機会がずっと少ない。
時間的制約、金銭的制約、そして心理的制約。
歳をとればとるだけ、新しいことに挑戦できなくなる。
そして、しなくなる。
思考が固定化される。価値観が凝り固まる。
「勉強しない」けれど「勉強しろ」とは言う。
子供は、そうした大人を見て育つ。
そうした大人のもとで育つ。
そんな親は悪者だろうか。
いや違う。学びたくても学べない環境がある。
「学び続ける大人」はイデアに過ぎないのだろうか。
いや、実際にはいる。けれど、極めて数が少ない。
ポケモンの色違いくらいの割合?
学生時代のように学び続ける社会人を増やしたい。
そうすることで、その大人の人生も豊かになり、彼らの子供も前向きに育つはず。
そうした理由が一つめ。

2つめは個人的な理由。
虐待を受けて育った過去がある。
ただ、いまさら被害者を演じたいわけではない。
虐待をする大人も被害者であることを理解したからだ。
学習性無力感という言葉がある。
努力しても報われない状態を長期間経験すると、抵抗することすら諦める状態。
父親との離婚後、母は頼るあてを失った。
仕事、家事、育児。
全ての責任を負った。そしてその全てを放棄した。諦めてしまった。
人は変われる。
変えられる。
何歳からでも人生をやり直せるきっかけを作りたい。
学びを通じて世界を変えられることを証明したい。
それが理由の2つめだ。

久しぶりの就職活動。
悪くない。率直に楽しいとさえ思える。
自分の考えをまとめ、それを理解してもらえた時の喜びは筆舌に尽くしがたい。

今日は少し話し過ぎてしまった。
このぐらいにしておこう。

明日は生まれてから8548日目。

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